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humming planet

san6.exblog.jp

2011年 06月 06日 ( 1 )

今を生きるって、輝ける裸と素手の表現だね

だいぶ昔のことですが、
仕事の事を深夜思い出し、
あれやこれやと考え、
胃がきりきり痛む思いのときがありました。
そう、かんがえることが向き合っていることと思っていましたが、
違うような気もします。

今でも、深夜、突然起きて、
仕事のことを考えることがありますが、
今、どうにもできないことを、考えることはしません。
今、こうしちゃう、ということを想いまた眠ってしまいます。

昨晩、仕事の事を考えるのも、執着だな、
と感じました。

仮に、明日仕事がなくなったとしても
楽しく生きられる自信があるかというと、
たぶん喜んで生きてしまうでしょう。
(今、ここに生命が喜んで、あるから!!)
仮に「生きられない」と思った時に
いろいろな生きるために、
自分が作った「条件」が自分の中に
つまっている事に気づきます。

気づくことはとても大事です。
ぼくは条件があってもいいと思います。
枠があってもいいと思います。ただ、
「自由になるため」に手放す必要はないと思います。
なぜなら、本質は、もともと、
「自由であること」を表現してしまっているから。
ここで自由に遊べるか。
あるいは、「可能性」を終わりにして、
今を無限大に実にしているか。

この今をぴたりと生きていれば、
枠があっても枠がない。
そんな風に昨晩、ふと、感じました。
仕事のことを想い浮かべたおかげで、
けっこう条件のなかで生きていたことにも
気づいちゃったんですね。

持っていても持っていなくても、
「捕らわれている」のと、
この今を、自由に「遊んでいる」のとでは
大きな違いがあります。

執着を手放すことは、最近、
多くの方の課題だと思われます。
が、もともと、
執着は手から放れています。
その執着からはなれたとしても
離れる前と離れた後では本質的には
なんの変りもありません。
いや、あるのは成長と発展のみです。
執着はつくったものですから、
そこをたっぷり味わい遊んでいたんです。
執着は何を教えてくれましたか?
何を学んだでしょう?

ぼくらの命は、この今に、
はじめから
常に輝いています。
ぴたりとここにフォーカスして
いきていま~す。
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by sanshiro-1973 | 2011-06-06 14:17 |