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humming planet

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創造の花

太平洋のスロースリップが起きている時、
ゆるやかにぼくも揺れていました(笑)
尾てい骨がころころ振動しているようで、
変な言い方だけれども
身体も神だなぁって想ったりもして。

ボディを帯びているということに
神性というか意志を観じ、
ここから離れることへの執着は
ある意味、ボディーに執着していることにも
似ているなとも観じたり。

このボディーを帯びて魂の研鑽(あじわい)を
していることじたいが
大いなる存在の機関のようで
動詞それ自体が神々しい日々です。


* * *


最近、「判断すること」を拒みつつ判断している
渦を見かけます。

「段階」っていう言葉を使えば簡単だけれども、
そうじゃなくて、それさえも完全の中で
観じられるきらめきのようにも想える。

進化には到達点はない。
進化自体全体の波頭を照らす光のひらめき。
波の波頭のように到達点があるようで
その頭は瞬時に沈んだりして
すべては進化の過程、調和にいたる過程として
(ここからは)繋がっているようで
時間のスケールをあてると、変な言い方だけれども、
あたかも進化が進化としてみえるのだ。

ある意味「進化」というのは「色合い」で、本来、
自然にある無数の目は判断ではなく識別している。

* * *

感覚を自由に泳がし
味わうには判断さえも
創造の花なんだなぁと実感しています。

これはちょっと特異な言い方にもなるし
矛盾した感じにもなるのですが、
ひとは本質的にはニュートラルであることは
間違いないくて、
そこに違いやずれを(本質的に)楽しんで
創造を繰り返しているんだなぁとも。
全体性を「個」で生きているのではなくて
宇宙ひとつである中で、「個」という部位で全体を表現しているものだから
その部位が顕す「ずれ」は本来はとても素晴らしい味わいなわけです。
(これは具体的に言うととても受け入れてもらえなくもなるので
誤解も生じるし、
人としてその表現にふみきることはできないのですが、
そこを「躊躇う」過程としてのひらめきが
地球にはあるのだなぁとも想います。
この「躊躇い」があるということは同時に
未発達がゆえの味わい。

この「躊躇い」はボディと「違い」を帯びたがための
感触で、調和は不調和までもつくりだししてしまうのかという
錯覚さえも創りだします。

ボディを帯びているというのは
創造の過程を楽しむことであり
摩擦を精妙化しふれあい、
そしてまじわり、とけあう今に
生きているんだなぁとも想うのです。
そして、いかなる時空元においても
この創造、進化は神性なものなのだなぁと観じます。

改めて味わう、そう
ぼくらは味わっているんだなぁと
観じるのです。
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by sanshiro-1973 | 2014-01-15 17:53 | うた
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