ブログトップ

humming planet

san6.exblog.jp

最近想うのです

「してくれない」と思う
くれいない族。

最近、タイムリーにも
このキーワードに立て続けて出会いました(笑)

会社など所属意識が強いと
いつの間にかどこかに依存が芽生え
「してくれない」という感情が湧き出てくる事があるみたい。

たとえば、学校などもそうですよね。
この学校はこれを「してくれないから」やめようとか。
もちろん、その基準はそれはそれで、必要です。
けれども、求める事だけ求めて
自分はさておきという現場をよく見ます。

くれないと思ったら
自分で少しでも、
主張や行動してみると良いですよね。
意外と、主張さえしていない人もいます。
目の前の現象は
自分が与えられている結果だったりします。
充分に与えられている結果、
「してくれない」と思うのであれば、
どこかで、その現状に依存と
「仕方なし」という合意が根付いているのかもしれません。

と、最近想うのです。


*  *  *

あたりまえの
ことですが、
自分の人生は
自分でしか味わう事が出来ません。
人は理解はしてくれるかもしれませんが、
その理解は味わう事に本来は意味がありません。

例えば、
おいしいご飯を目の前に
暗い話をされたら
目の前のご飯は
美味しくなくなるかもしれませんが、
おいしいご飯は
常においしいご飯のままです。
だから、
あじわう人次第だなって
想います。

ひとを理解する時に
「たいへんだね」と共感するかたがいますが、
変な言い方をすると、それは
ごく一部しかみていないことがあります。
「たいへん」な見方をしている時は
受けてが「たいへん」な視野しか持っていない時が在ります。

ただcompassionというのは
もともと共にとてつもない試練を被るという意味ですが
同じ試練をとおってもそこから
受けてがかろみに転じることができるなら
共にその重みがとても大切な学び、
味わいになることがあります。

最近、共に落ち込んでしまう現場を見ると
フォーカスや心の振動を
その共通の空間で少し整えることをしています。

先日、仕事仲間の先輩たちの口々から
笑顔でいることが
その場を反転する力だと言っていました。

渾身の笑顔。
笑顔がこころから湧き出るには
自然がとても協力的です。
ぼくらのまわりには
常に協力者しかいません。

常にある自然の流れに
こころを浸すと、
余計な力をそぎ落としてくれます。


* * *

という訳で、
人は影響されていると思うとき、
自分が影響を与えているという事を
忘れている時です。

存在というのは
常に相互で影響を与え合い
螺旋の動きで成長しています。

影響をギフトという言葉に代えても
意味はあまりかわりません。

いかに、そのギフトを味わえるかで
同じ場所に住んでいても
生きている次元が違います。

どうせならより軽やかな
次元で生きてしまうのが
自然であり、本心じゃないかなと
最近想うのです。
[PR]
by sanshiro-1973 | 2012-04-21 23:43 | モノローグ
<< 意志が活きている いつでも自然である私 >>