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humming planet

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大いなる存在があらわしている無いという動き

「したい」「しよう」という言葉を敢えて使わないように
していたことがあります。
そんな言葉のポットに、想いを投げ入れて
閉じ込めてしまわないようにしていました。
ただ、自然と出てしまう時は
喜んで使ってしまっていました。
無いということが、次へ動き出している
創造の一歩であるかのように。

俳句や短歌などの韻律は
興味深い。
枠をつくって無限を表現している。

「できない」道をつくって、
あらたな道を創るように。
だから、「できない」道は
律せられた道であり、
できる道でもあったんだなと。
している道も律せられた道。
大いなる意志によってね。

それ以上に
その韻律というのは
自然の秩序である。
自然な秩序は
沈黙とともに在るような気がする。

分光しているということは
さまざまな畝をつくりながら
ひとつであることを
表現しているかもしれない。

* * *

何かを失うと
存在を見いだす事が出来る。


無いというのは動詞を創る。
本質的な大いなる在るから
螺旋の動きを創りだし
在るを生み出していている。



* * *


無いということを創ると
在ることを見いだしていることになる。

無いという経験が
ハートの眼に常に見えている
在るを
見るようにしている。

韻律は
沈黙を歌うものだ。
一方、沈黙は
韻律を歌っている
どちらもひとつであり
ひとつは歌っている。
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by sanshiro-1973 | 2012-02-24 21:19 |
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