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humming planet

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光であること

最近、なんでこんなに縛られていたんだろうと
想うことがたくさんあります。
もしかすると、国という概念もね。
縛っているのは自分なので解けばいいですよね。
そして、しばらくすると
縛られていたのではなく学んでいたんだと認識できる。
そう、認識できれば、感謝が湧いてきます。


* * *

よく俯瞰した視点でみるといいますが、
そんな視点でみるととるにたりないことばかりに
縛られているように想われます。
ただ、とるにたりないことも
大切に抱きしめている方もいますし
そのエネルギーがそこにあたえられているからこそ
ひとによって「大切」なわけです。
ひとが持ち得る素晴らしいエネルギーでもあります。

そして、
俯瞰した視点というよりも
愛の目でみると
この「大切さ」もゆるされ、包み込まれている。
この目は誰でもが抱えており
だれでもがすでに開いています。
(開いているが常に開いてはいない感じ。)
この目でみると
微々たるようにみえる事柄も
なにかしらの創造の力になっているわけです。


 * * *

最近、「教える」時代が終わりかけているような氣もします。
よく伝道といいますが、
振動して伝導してしまう時代なのかもしれません。
「教える」意識でいると煙たがられることもしばしば。
それはそれでO.Kです。
「教える」衝動があればどんどん教えるといいです。

ただ、一歩踏み込んで、
この想いを実践して生きることが大事なんだなぁと。
美しい光は周りを美しく照らします。
美しく照らされたものは
またその自らの光を違うかたちで照らします。
そして、照らしあいます。

最終的に、「教え」はなくなり
光や、音楽、歌のようになるでしょうし、
すでにそうなっています。

思想が先にあるのではなく
振動が「思想も」創ります。


 * * *

普通というか、今までの慣れた形として、
泥に飛びこむことを嫌い
清い水に飛び込むことを望みますよね。

ただ、
泥に飛び込んで浄化する力が
ぼくらにもあるわけです。
泥になるのではなく
常に光であるわけです。

* * *

ぼくはいろんな人を非難の目で見てきた事があります。
そこを引いて迎いれ、
非難の目を愛の目に変えることで
そのひとたちとも共に生きることもできるのです。

相いれないと思われるひとにも
愛の目を注いでいます。

それが出来ないのであれば
愛の目を注ぐ余地を残しておく。
この余地が自分をさらに自由にしてくれます。

* * *

自らを「奴隷」もしくは
奴隷だったと思っている以上は
奴隷のままです。
「奴隷だ」という認識を得ただけでは
「奴隷」から解放されないのと同じです。
「奴隷と思われたが」そうではなかったという
最終的な通過点が次に用意されます。


  * * *

自らの流れにのることです。
自然と
感謝、神謝を放ってしまう事です。

気を「〆る」「とめる」のではなく
氣を四方八方に放つ
「米」であり「光」であることです。
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by sanshiro-1973 | 2014-12-13 10:41 | | Comments(0)

愛であるという理で生きている

自分は宇宙、自然、愛であるという前提、理で
生きている(実行している)事が
すでに当然の理になっています。

「愛だよ、宇宙だよ、自然だよ」という
目覚めのベルは常に鳴り響いていますが
ここに慣れたものには
ベルを聴いたり、そうであると主張することもなくなり
そのベルの振動に自らがなっています。

どんな現象、
どんな対象であっても
愛が働いていると観ている事が
その現象や対象に
ゆるやかな振動を与えています。
相互に働き愛、
相互に進化しています。
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by sanshiro-1973 | 2014-12-12 10:01 | | Comments(0)