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humming planet

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狭き門

「してくれない」と思っている相手に
「してもらう」ということはとても労力がかかり
難しい道です。

変わるのは自分からとよくいいますが、
求めるところは自分自身のハートなのです。

たとえば
国に求めて国がしてくれないということがあるなら
まず、自分のハートに求めるのです。
そして、自分でしてしまうことをみいだします。

「ひとりじゃできない」
そう思ってしまう事たくさんありますよね。
ただ、ひとりが動かないとみんな動かないんですよね。

誰かの動きを待っていても
その動きが誠実かどうかもわかりません。

自分が動くときはすでに共振しているものがいるものです。

ハートに聞く事。
ひとりでくぐるにはとても勇気のいる
あなたしか通れない門ですが、
おなじようにその門をくぐった仲間は
すでにいることは忘れないように。

あなたが心地よく揺れれば
同じように心地よく揺れている宇宙があるのです。
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by sanshiro-1973 | 2014-03-28 08:03 | | Comments(0)

ハート中心

春分の解放はまさに開示で、
ひとそれぞれさまざまなことが起こっている事ともいます。
今まで、見えなかった事が見えて来ているんではないしょうか?
我慢していたひとは、我慢できなくなり、
辛い思いをしていたひとは、辛い思いをすることを急にやめられたり、
吹き出すものが吹き出したり。
一方で、楽しく生きている方は尚一層楽しく、あらたな領域へと
わくわくしている事と思います。
でも、これはすべて花咲く事ににています。
想い方しだいではすべてに大きく進化するヒントがあって
咲くように咲いている。
そんな感じですね。

春分以降、凄い想念をうっすら感じていましたが、
それが急に昨日から離れて行った気がします。
個人的にだいぶ解消できたと思います。



 * * *


すべのひとの魂は
ひとの素晴らしいところしか
見えないぐらい
より精妙なところで共鳴している。

ここの領域に
気づいてください。

ただ、過大評価したエゴによって
ブレーキをふんでいるだけです。

すると、エゴが「悪い」と想うかもしれません。
そして、「手放したい」とも。
しかし、エゴはぼくらの創造にとって必要なもので
つぎにうねりを与えるための一動力でもあります。

問題はエゴが大きなものととらえている
癖がつていることなのです。
ひろくひろがっている心を忘れて
エゴにからだと思考が振り回されているだけにすぎません。

受け入れる、手放すという作業は
こころの枢を軸にしてなされるのであって
思考でするわけではありません。

受けれいてしまい
手放してしまうわけです。


*  * *

より大きく、自然なる宇宙に共鳴して
この循環を観じている。
この循環とひとつと
覚えている。
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by sanshiro-1973 | 2014-03-27 10:57 | | Comments(0)

静観

誤解されることがあって、
相手の思う真実は
ぼくとは遠いところにあるから
いずれ、(死を迎えた時とか)わかるだろうと
昔、想うことがよくありました。

今日も昔こんなふうに想っていたことを
想いだす事がありました。

人間にはたとえうけいれていても
不可侵の意志というものがあり。
それが学びの過程に残っており
それが双方にしこりという名の
痛みを与える事があります。
時にそれが無い地獄さえもつくることさえあります。

ただ、ぼくはいずれうけいれられ
それをうけいれられてしまうのが
宇宙の流れだと想います。

* * *

受け入れるということは
ただ頷くこととはちがいます。
時に相手の学びに抵抗のようなものになって
協力することだってあるのです。
我慢してまで、頷くということは
受け入れている事とは違います。
自分の中の我慢を
解放することも受け入れること。

静観することに
大きな意志が動くこともあります。
受け入れていると想えば
すでに受け入れており受け入れられているから。


* * *

この暖かさで
いろいろなものが解放されている事とともいます。
あらゆる出来事は好転現象になっています。
ひとつの小石につまづいても、
その小石のおかげと想う時がすでに
ここにあります。

暖かく静観して
味わいましょう。







* * *


* * *
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by sanshiro-1973 | 2014-03-25 22:59 | Comments(0)

クスリと祈り

色々な変化を味わっているここ数日です。

被害者意識や加害者意識は
フローしている自然の中で
エゴによって
かた結びをしてしまった滞りです。
けれでも愛は常にほどいていますし
ほどくちからを与えています。

*  *  *

「精神を病んでいる」という方に
今まで数人会ってきました。
ぼくはそれぞれ向き合っていることには
なにも口出しすることもありませんし、
これからもそれぞれが
素晴らしい自然なフローに合流する事を忘れずに
お祈り申し上げています。

これに即して、この数日観じたのは
この「精神疾患」「障害」と名づけられた現象に関して
エゴによる化学物質でに作られた薬は
機能するどころか、「氣」を失ってしまう
力があるようです。
対処、あるいは深く根付いた損得でつくられた
「クスリ」は氣を循環させる力はないように観じます。
もしそのクスリを手放せない状態であれば
そのクスリに祈ってください。
ありがとうを無限大に込めて
祈ってください。

「祈り」が虚しく響く人がいるかもしれませんが
こうした化学的クスリほど虚しくさせるものはありません。
このクスリの意識の変革を少しでももたらすのが
祈りです。
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by sanshiro-1973 | 2014-03-24 22:15 | ダイアローグ | Comments(0)

春分

昨晩、遅く就寝したのですが
ぐっすり眠って、いつも通りの時間に起きました。

なんかいままでの張りがすべてとかれたようで
心地よい朝でした。

エネルギーがふりそそいでいるから、
というだけでなく、
ぼくらのからだは地球の循環に
確実に呼応してるんだって思える瞬間でした。

ぼくらはこの素晴らしい恵みに敏感であればある程
この命は強く振るえていることになるんですね。

与えられているものはまさに無限大なのです。

受け入れる力が大きければ大きい程、
あるいは限りが無ければ無い程、
この地球では命の輝きがますのです。
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by sanshiro-1973 | 2014-03-22 07:08 | Comments(0)

受け入れ受け入れられている

よく認められたい
受け入れられたいと
想うことがありますよね。
これって、とても大切だと想います。

表現というのは
ひらめきであり、すでに
訪れるている感謝です。

そうやって手さぐりのなかで
「つながっていること」を再確認することが
感謝そのものなんですね。

そして、そこから
もう少し進んで自分が、
認められたいとおもっている
他者を真に認めているか、
受け入れられたいともっている
他者を充分に受けれているか、
ここが結構重要だと想います。

一方通行になりがちな
受け入れられたいという想いは
よくよく考えると
ブレーキを踏んだ状態で
実は自らを拒んでいる状態なんですよね。


* * *

意志は循環して常に流れています。
滞っている時は
自らを拒んでいる時なのです。
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by sanshiro-1973 | 2014-03-19 16:06 | | Comments(0)

流れ、静なる動

この数日、反転を観じています。
なんのことでしょうね(笑)
ぼくらが見えていて
観ていなかったところへと
フォーカスが移動したといいましょうか。
かたちを生む背景が
むしろかたちであったかのような反転です。

* * *

引き寄せも
一時的な吸収にすぎず
そこからすでに拡散がはじまっています。

仕組みとして固定されていたものが
滞りとなって、解体されて
ふたたび流れています。

* * *

最近、ふたたびなんとなく
ミカエルの意識を観じています。
それは金神、弥勒?
いままでの固定概念を捨ててしまうときが
到来していますね。
直感的になんとなくそんな観じ。

忌み嫌っていたものが
最良の友であり最高の自分自身だったようなことも
あったりなかったり。
ニュートラルっていうのは
喜びでしかない振動を基礎した
宇宙のプロセスであると想ったり。

熱いなぁと想っていた温泉が
心地よく肌になじんできているかんじです。
これはご多分にもれず
ぼくだけの事象ではなく多くの方達の
事象になっているのだと想います。
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by sanshiro-1973 | 2014-03-19 03:29 | | Comments(2)

まるまる受け入れ受け入れられ

衝突、摩擦におもえることにおいても
全体において調和にいたるようになっているので
衝突、摩擦は意味付けであり、
プロセスをそう名づけただけだ。
ぶつかる、ぶつけられたという
関係性はほんらいなく
作りだされたものにすぎない。

* * *

この数日、
「やられたらやりかえさない」ことというのが
シンクロしていろんなところで
ふりそそぐメッセージでした。
「やられて」傷つくかもしれない、
けれども被害者にならない
転換があるように想えた。
実は「やられた」のではなく
「やられた」と意味づけしてしまうことに
慣れてしまったということなのかな。

今までのこの「慣れ」のなかにおいては
この意識の転換は極めて難しいように想えるのだが
そう決めればぶつかるようなこともなくなる。
ぼくらは加害者を捜す事に今まで長けていて、
すぐにでも被害者になりがちだ。
一方で、複雑に変容して
そうならないように「原罪」をつくり
自己を憐れみ
創造にふたをしてきたふしもある。

* * *

目の前で起こる現象をじっと観じてみる。

* * *

自然はゆるしあいの循環にある。

人間はゆるされることを前提に
自身のふるまいに向き合わずに
自身に「罪」をつけることで
つぐなうことをせず、ゆるされることを前提に
この循環を断ち切ってきた。
「罪」をつけても意味も無く
自然は調和にいたるために
荒波となってよりもどす。

循環を断ち切ろうとしても
自然は循環してしまうから
荒波となってよりもどす。

調和である喜びの循環は自然と周波数が
常にあっている状態でのみ
存在している。

* * *


今ここで
まるまるうけいれている
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by sanshiro-1973 | 2014-03-04 19:37 | | Comments(0)

forgive me, forgive us

詳しくない事を前提で
書きますが、
ホ オポノポなどを実践している方のあるグループでよく見かける
「ありがとう」「ごめんなさい」
「許して下さい」「愛しています」と祈りのことばがありますよね?
前までこのことばのシークエンスにあまり
興味をもたなかったのだけれども、
今日、ふとこれは「自然の循環」なんだなぁと想いました。

とどこおりがあるとき
この波動を想いだす事が
フローをうながすことになるんだなと。

* * *

原発に対して恐怖するあまり
植物や動物、原発の施設、そしてエネルギーとしてとりだされた
放射性物質そして、地球の痛みを忘れ
人間はじぶんたちのことだけしか考えていないこともあるなぁと
観じる事もあります。

地球や地球にある仲間が傷つくという事は
ぼくらも同時に傷つくことになります。
ぼくらの恐怖は無責任にだれかに責任を向けようとします。

古代のひとびとは
ありてあるもののつながりを現代の人間よりも
忘れていなかったのだと想います。
アミニズムは単なる未開の信仰ではなく
そしてイズムでもなく
ごく自然なつながりを尊ぶ
高度な精神力だったのではないかなぁとも観じます。

それは自分があるということに
責任をもっていた独立した
しなやかな個性と集合をもっていた
時代なのかもしれません。

* * *

すべての命あるものに
祈りをささげています。
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by sanshiro-1973 | 2014-03-02 15:48 | モノローグ | Comments(0)

新たな意識にはいっています

説得したり、論破したりすることの無意味さを
最近よく観じます。
ぼくもさんざんしてきましたし、
つい最近もしして
たいへん労力を使いました。
闘うエネルギーというのは
相手により強い反対のエネルギーを与えていることなんだなぁ
と今さらながら気付きました。

* * *

ぼくのなかにもサターンがいます(いましたといったほうがいいかな)。
そのサターンが恐怖をたべているようなエゴです。
ただ、ぼくらが彼に与えた意味は
ぼくがさらに大きなものとしてあたえてしまい
主人を明け渡したかのような
4次元的な幻覚を与えています。

4次元的な幻覚で人は傷つきますし
からだも疲れます。

でも、そのサターンと名づけたものも
そして、勝手に意味を与えたものも
自分が創りだしたもので、
今も小さなシミというより
模様のようなものなのかもしれません。

勝手に大きくして
勝手に苦しむ事を学んだのが
人間のような気もします。

生とし生けるもの、ありてあるもののに
間をつくり
このつながりを忘れて来たのが人間です。

ただし、この人間もこのつながりを覚え、
想いだせばもう
たんなる人間ではありません。

ひとつである輝きとしてのひとです。

ぼくらはずっと忘れていました。
サターンもただの色合いです。
ぼくらのつながりです。
違う名前をした役割をなんどとなくしてくれている
ぼくらの学びのための抵抗です。
ある意味、友でさえもあります。

向き合わなかった
光が周波数をおとした闇に
今光が点灯しています。

その闇は僕らの常識を超えた
光のための光です。

ぼくらの魂の肥やしです。

腐敗したすべての庭に
今、発酵がおこっています。
光への転換です。

すべてのひとに起きている
進化の転換です。

花は咲こうとはおもはず
咲いてしまうのです。
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by sanshiro-1973 | 2014-03-01 21:07 | | Comments(0)