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humming planet

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カムシャ

今日は朝から眠いです。
気候やムードが少しずつ変わっているように感じます。

8月はぼくにとって久しぶりに色々な出来事がやってきては
これはすべてじぶんが作って学ぶためのものだと感じ、
学びきったきがします。
今までスムーズだった動きも、転換の踊り場に来て、
新たな流れが始まっていることを告げているようです。

ある人は幸せを体感しているかもしれませんし、
ある人は、身体の不調をかんじていたり
ある人は、事故にあったりしているかもしれないですね。
(最近事故を見る件数が多い!?)
ただ、これもすべて新しい流れへ自らを誘う
自然なはからいのような気もします。
こんな時は、
出来事に埋没しないで、
起きていることを冷静に観じ、
全体的に見渡してしまいます。

* * *

カンシャ

以前に書いたカンシャという想いが
最近よく体感できます。
もしかすると当たり前のことなんですが、
当たり前すぎて、それに気づくことができないこともありますよね。


* * *


ぼくらの存在は神謝であり、
日々じんわりとそれを
あらわしているんだなぁとかんじます。

ただあるということはまさに輝きで
それだけで美しいものです。
なんにもならなくても。

ただあるということは
何かをするということとは違い、
また
何もしないということとも違う、
圧倒的な輝きです。
行動はその輝きの軌道のようなもので
存在は軌道をも内包しています。

これはカムシャそのものです。
生きることはどこをとってもカムシャです。

何か特別なものを拝むことではありません
あらゆるものの振動に共鳴でき
カムシャしてしまうのです。

* * *



起きていることを
観じてみます。
複数のメディアの教えてくれることは
見ないようにする誘導でもあります。
ハートのメディアを通して振動してしまいます。
より自然の波動に忠実にいます。
自然は常に整うように流れています。
ぼくらの身体、心、魂は今も調っている最中です。
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by sanshiro-1973 | 2012-08-28 17:49 | | Comments(0)

陽のめ

12日、13日と身体の変化が凄くて、
ぐらんぐらん一人で揺れていました(笑)
昨日からはぴたりととまりました。
この二日は何か特別なことが
起きたようにも想います。
これがまだ続いているのかは分かりませんが、
この数日、静観です。
ペルセウス流星群のあいさつか!?
地球の光のボディの部分の変革のような気もしますが、
いい加減なことは言えませんね(笑)

* * *

太陽を中心とした惑星の運航は
互いに関係しあってタービンのようになっています。
それぞれの惑星が素粒子のような役割があるような感じです。
この引きあう力で螺線に太陽系も運航し
銀河も運航しています。
ある周期でひとまず上昇しおえる踊り場が変革期です。
今はそのまっただ中です。


* * *


今までぼくらが培ってきたことはなんでしょうか?


* * *

例えば、
だれもが国境がないことを知っています。
国境を造っているのは
集合的なエゴです。
ここにもぼくらもかかわりがあるから、
今できることは、意識の中で、
ぼくら自身で国境という創造物を
破壊してしまいます。

ぼくらはみんな星の目をしているんです。
日のめがひらいていることに気づくことです。


* * *

美しいものに寄り添い
自らが美しいものであることにきづくこと。

自然から離れているなら
自然に寄り添い
自らが自然であることに気づくこと。

全身全霊ですべてを愛していることを
ぼくらはみんな観じている。
ただひたすら。
時に、観じていることも忘れて。

だから、これからもますます
全身全霊で全てを愛しつづけていきます。
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by sanshiro-1973 | 2012-08-15 15:51 | | Comments(0)

内在している力を活かす

ここ最近の耳鳴りは縮小したのですが
水の中にいるように右耳がふさがったように
なっています。これが嫌な感じじゃなくて、
違う所の音に耳をすましているようで、
おもしろい。
季節、気圧の変化なのかな。
なにか高鳴りを感じます。
この2、3日はさなぎを見守るような感じです。

* * *

「疲れ」というのは時に気づかないことがあります。
「疲れ」を感じる時はすでに不調和な
こころとからだの使い方をしている証です。
ただ、魂はなっとく済みなんです。
もちろん、このままだと窮屈になります。
ゆっくり休む事は大事です。
休みというのは自然な状態にもどしてくれます。
積極的にからだとこころが調うように
休んでしまいます。

* * *

さて、「休まなくていいからだ」というのを考えた事があるでしょうか?
普段、意識して身体を内側からみてみると
意外と余計な力が入っています。
もちろん、ひとは力が入っていないと生きていられません。
立つ事も、見る事も、息を吸う事も、
存在することもできません。
が、ここでいう「余計な力」は、
エゴを中心にして身体を動かしている力の事です。

余計な力を感じたら
呼吸をして、脱力して
自然、周囲の空気を感じてみるといいかもしれません。

地球のサイクルで動植物が休眠することは
むしろ休息でなく、豊かな自然な流れです。
よく使われる「休み」ではなく豊かな本流にあります。
ある意味、「休み」はエゴが必要とするものなのです。

こころと身体を自然に動かす力は
あらゆるものとつながり
一体です。

自然な力は存在が内在した力で、
(内在というより「備わっているそのもの」という感じ)
調和して無限の力とつながっています。


* * *

個としての存在を波にして
穏やかになっている、
穏やかにななっているだけでなく
ハートを中心にして
その穏やかな波を
個としても
発振している。
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by sanshiro-1973 | 2012-08-12 07:08 | | Comments(0)

ひとつがうたっている

あっという間に立秋になり
今日は8月8日です。
昨日から身体が少し軽くなった気がします。
巧くチューニングをしているよう。

ここのところ、
ぼく自身のなかにも
知らない間に「力技」をているところがあって
その力はいろんなものを破壊してしまっていた。
ハートを無視した力技は眼に霞がかかり
調和にいたる力と逆行して
「疲れて」しまう。

こんな中にあって
「感謝する」ことから
「感謝である」全貌が見えてきて
味わっている。


* * *


☆ 生まれてからすりこんできた「思いいこみ」

  この思いこみは補助輪のようなもので
  より素晴らしい創造をするための
  仮の枠組み。
  ただ、自然の流れにおいていつまでも、
  ここにとどまることはできない。
  もしとどまるならばさなぎのまま生命を終えるようなもの。


☆ 主であることを忘れた「依存性」

  「なる」、「なろう」とすることによって見失われた「ある」。
  何かに「なる」ために「でなければならない」ものをつくりがち。
  依存しているものは「条件」なので、条件が先に来てしまうと
  「ある」ことを見失う。
  自然の流れは無条件に自発的創造しているがゆえ、
  ある意味、花咲く存在はすでに存在している。
  


☆ 「救い」ではなく「究め」

  「救い」の実行は、最終的に
  この「救い」のヴィジオンを手放すことだ。
  これも段階的な補助輪だ。
  「救い」のヴィジオンを持ち続けると枯れる。
  どこかで、周波数の落とした今を認め続けているからだ。
  花が咲くことを疑わないことだ。

  花は咲くようにあり、実はなるようにある。  
  ひとつの円を究める。螺線にのぼり、
  踊り場であそび
  さらにひとつの円を究めている

  この無限の結び、
  ひとつがうたっている
  すべての複合と想える乱反射は
  うたうたいの音色だ。





  
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by sanshiro-1973 | 2012-08-08 16:45 | | Comments(0)