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humming planet

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愛と自然と調和に身を融合させる時代

 仕事で石油関係の調べものをしていたらバイオレメディエーションに関する項目に出会った。「バイオレメディエーション(Bioremediation)」は微生物や植物など生物の力を借りて汚染物質を除去し、環境回復を試みる技術のことらしい。昨今、放射能物質も微生物によって除去されるという情報がちらほらきこえてくる。これから、さらに微生物が活躍する時代がくると想う。
 けれど、そこで忘れてはいけないのは微生物はエゴによる「支配」「利用」という意識では「人の見方からする」と暴走してしまいかねないということだ。意識を変革することは必然なんだと、常々想う。

 これはエネルギーの問題にも当てはまっていて、自分たちが安心安全になるのならそれでいいのか、というわけではなく、動植物、微生物、宇宙の生命いたるまでの全体的な調和に人のほうからますます融合していく必要がある。

 人のエゴによって生み出された不調和を動植物や微生物に手助けしてもらうほかに、
何より人が同じ生命としてしていくことはなんだろうか?

 採掘型の意識(エネルギーの流れ)を見直し改め、命がめぐる循環型の意識(エネルギーの流れ)に自ら身をひたすことに他ならないと想う。
 自ら切断し続けてきたあらゆる万物とのコミニュケーションのネットワークを再度むすびなおすこと。
ただ、人類が切断してもあらゆる手段でコミニュケーションをとって人類を切り離すことがなかったのは自然である。意識の差はあれ、この自然とひとつである認識はすべての人に宿っている意識でもある。

 それは決して遠い未来の地球ではなくこの100年のうちに成し遂げる必要がある、
いやすでに始まっている仕事、全人類で宇宙全体にささげる仕事なのかもしれない。



Earthtanksさんのことばを引用しました。
これは今まで、自分の仕事でお大勢の人に伝えてきたことなので、
シンプルに気づかせていただいた、Earththanksさんに感謝です!
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by sanshiro-1973 | 2012-04-27 16:58 | | Comments(0)

ミカエル ― 美しいひとよ!

ばんそこうのように
扉にはられている
ミカエルの紋章、
ミカエル十字。
「神のようなもの」だったり
「神であろうものか」だったり
いろいろ書いた椅子に座らせられた
ミカエルだが、
まさに彼(!?)にあたえられた意味付けは
人間の歴史そのもだ。

このミカエル十字、
実はモンサンミッシェルの門にはりついていたもの。
それがミカエル十字だかは
だれかの判断にまかせるとして、
それぞれの線が直線に横断して
牢獄のよう。

モンサンミッシェルは祈りの場であり、
瞑想の場であり、
戦いの城であり、牢獄でもあり、
食事の場でもあり、懺悔の場であり、
悪魔が作りし城でもあり、
商い人もではいりする教会であり
墓場でもある。
ある時点の古い地球の縮図でもある。

ミカエルは剣をもたされ
甲冑をかぶり
ドラゴンと闘わされたりして、

その唯一ふれあう十字は
触れ合わないように
複数の十字の雨がふり
こころを頑に閉ざされた
意図を感じ、

本当のミカエルは封印されていた。
本当の美しい人は封印されていた。
まさに人「間」の歴史のように。

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ミカエルはぼくにささいやいた。
この門にはりついた紋章は錆び付き
日が射して、
とうにはがれ落ちているよ。
むしろ、最初からなかったものだ。

はりぼての防護。
はりぼての威嚇。
隠し通せないそれぞれの不安。
不安を隠すから守り
威嚇する。
常に私は私たちと一緒に見守り
傷を負った。
どこまでもどこまでも
私は私たちなのだ。
どんな選択肢をとろうが
私は私たちとともにあった。
だが、その紋章は
錆びついて私ははなたれたのだよ。
そう、私たちはつまらないスパイラルから
離れたのだ。
ぼくとわたしときみときみたちと彼と彼女と
彼らと私たちと彼方を融合してしまうために
私は常に私たちとともに在り
これからも私である。
本質の私は私たちによって
目覚めたのだよ。
まだ折り曲げていた身体の節々は
痛むだろうが、直にに和らぐ。
あの牢獄のかすかに開いた窓から
風が流してきた木々の香り
花の香り、土の香り、海の匂い
空の匂い、
そして、
これがぼくらの匂いだ

祝おう!

* * *


分離から統合
実は元から
統合されているが
ゆえの織りなし
味わい

ミカエル十字
十字を囲む線
ふたたびおりなおし
六芒星

結ばれてひらかれている
生命の樹
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by sanshiro-1973 | 2012-04-27 00:36 | うた | Comments(0)

ハートがひらく思考

今月の19日から徐々に何かが起こっていて、
吹き出すようにして、昨日、ショートしました。
太陽の活動もこの1ヶ月盛り上がるとおもいきや
安静でしたが、ここにきて、決められたかのように
徐々に盛り上がって来ています。
安静期間も
着々と大きな変化を遂げていたようにも観じます。

* * *

本来、
ハートで発振する想い
それは直感でつまみだされた想いが
現実化してしまう想いだが、
多くの時代で、頭がブレーキをかけて来た歴史があった。

なので、
頭で考える事よりも、ハートで想うことが大事だと
ぼくは今まで「考えて」きたけれども、
昨日、喉風邪で1日ノックアウトになってみて
これは少しだけ違うと、
色々気づく事が合った。

妻にヒーリングしてもらうと絶え間なく
前頭葉からぴりぴりと放電しているようで
一気にぬぐいさってしまいたい感じだったそう(笑)

喉のターミナルが突然停止すると
一時、やる気もなくなり
不安だけが支配する。
それはまさにエゴシアターで
どこか遠くへ追いやられたようになる。

こんなときは、しばらく安静して
呼吸に集中することと、
整うまで自然に身をまかせる。
ショートは好転反応だから、
安心して観じていよう。
新しい事が生み出される時は
ひとによってショックがおこるものだ。

実は、昨日のぼくと今日のぼくとでは
感じ方が全く違うのが不思議だった。
今日は息子の目がとても輝いていて
美しかった。それを見ているのに
気づかなかった昨日があったということか。

* * *


喉のチャクラは
前頭葉とハートを繋ぐ大事なエネルギーセンターで
頭とハートをつなぎ、まさに
想った事を創造的に実現するのに大事な役割がある。
(他のチャクラも、同じように大事な役割があり、
すべて連動している、喉は腸ともつながっているしね。)
ただ、頭で考えている事と、
ハートで自然と流れて来てしまうエネルギーに
ギャップがあると、喉が突然ショートしてしまうことになりかねない。
このずれが、首にマイナスをつくり、思考と想いを分離させてしまう。
このギャップをつくったままにすると
心は扉を閉じ深淵へむき、思考は無軌道で惰性で不安を
つくりだす旅へとでる。
肩こりや頭痛はその身体にあらわれたメッセージだ。

ただ、幸いなことに、
喉のショートは突然の融合のようにも感じる。
風邪などによる喉の障害は整う作業だと感じた。
宇宙の流れと、
こころ、からだ、魂の流れを
一致していることがあたりまえであるため
新しいものを生み出すために離れてしまったエネルギーのながれを
融合させるための自然の所作だ。
季節の節目にひく風邪とよばれているもの多くが、
宇宙のエナジーと地球のエナジーが触れ合う際の
雷のようなものだ。

今現時点での地球のともだちの多くは
ハートの想いを前頭葉までにつなげルことがとても大事だ。
自然なながれというのは本来、ここはスムーズにつながっている。
ただ、現在はむしろ、多くのともだちは
それをつなげる作業を担っていると言える。
「ここにある自然」を見いだすという作業とシンクロして。

ただ、ある時から、このこころと思考のひとつのつながりが
切断されてきた歴史があるようだ。
ハートを中心にするということは
あらゆるからだ、あらゆる思考までその想いを拡大させることだ。
ほんらいは身体のいたるところが中心であり
ある視点からすると頭も中心なのだ。
ただ、分離されたエネルギーの流れを再度
ひとつに整えるためには
ハートを開き、ハートの太陽を全身にゆきとどかせることが
大事なのだ。
思考がハートや各身体をとじさせるではなく
ハートが各思考、各身体をひらかせる、
ということだ。

* * *


あらゆる思考、あらゆるエゴは
そう呼ばれていない状態へひらいてしまう種が
埋め込まれています。
そこに陽をあて、水をそそぎこむことによって
カラフルな宇宙が身体化します。
それはある種の永遠の成長であり永遠の実りであり
まさにこれが永遠の黄金期なのです。


* * *

「行動」という意識に疲れているひとがいたら
開いたハートの太陽からでている光で
思考を開花させましょう。
自ずと動き出してしまうステップがあるはずです。

ダンスは思考からうみだされません。
からだじゅうのあらゆる中心から
こみあげるサムシングからはじまるのです。
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by sanshiro-1973 | 2012-04-26 20:43 | | Comments(0)

意志が活きている

会社にある、ザルが
かなり昔、実家で使っていたザルだと想い、
感慨にふけりました。
(おそらく20年以上は使っているんじゃないかな。)
昔使っていた中華鍋や、煮込み鍋も
実家や、我が家に残っています。
作り手の意志があるものは
長くその寿命を全うする気がします。
おそらく、長く使ってもらいたくて
耐久性のある製品、使い用途が素晴らしい製品を
基準に創っていた時期があったのかもしれません。
こんな製品の寿命は長く、原価もそれなりなので、
今までの市場原理からすると
リピートはあまり望めないものですから
市場から消えていったものもあるかもしれません。

ただ、これからは
ほんものだけが残ってゆく世の中に
なると、日に日に感じます。



* * *


ほんものは
大いなる意志が宿っているものです。

今まで、食べるものも、日常品も
意志のないものがあふれかえっていました。
広く流通させ、多くの人が物質的に満足できるよう
発展したきたことは間違いありません。
良い悪いでなくこれも大きな流れの中では大きな遺産です。
ただ、この流通、金融優先のものづくり、ひとづくりには、
質や「3次元的な眼」では見えないものは
ほとんど無視されてきました。

意志の振動が弱いものを身につけたり
摂取したりしていると
こころとからだ、魂の免疫力というか
意志力が発揮できずに
その淀みになれてしまうような感じです。

ほんものは
大いなる意志が活きているものです。
私たちと同じ
大いなる意志そのもので、振動して
存在の美しさに満ち溢れています。



* * * 



アレルギーの方がこんなに増えてしまったのには
色々な原因が折り重なっています。
もともとからだに入るはずではなかった異物(不調和)が
不調和を重ね整う力を減退させてゆきます。

植物によるアレルゲンは本来、異物ではなく
外なる自然と内なる自然が同時にメッセージを
送っているだけです。
多く植えられた杉も、本来はなんの不調和もない植物です。

植物のアレルゲンを処理しても
もうひとつの人間のエゴによって生み出された
異物(アレルゲン)を解消して
手放さないと
宇宙、自然の調和に至ってしまう流れに
逆行して、痛みや苦しみさえ生み出してしまうことになります。

実は、人間のエゴによって生み出された
異物(アレルゲン)は物質だけではありません。
過剰なストレスや、善悪二元論の判断による
破壊の想念も大きなアレルゲンとなって
人のからだの自然を減退させて行きます。


* * *


3次元的な緩和はむしろ対処にしかすぎません。
3次元的な眼で見えない滞りを
ゆるして解放してしまうことが
今、すでにはじまっています。

このより調和いたっていく想いは
宇宙の経験智、
宇宙のあじわいをふかめています。
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by sanshiro-1973 | 2012-04-22 11:57 | | Comments(0)

最近想うのです

「してくれない」と思う
くれいない族。

最近、タイムリーにも
このキーワードに立て続けて出会いました(笑)

会社など所属意識が強いと
いつの間にかどこかに依存が芽生え
「してくれない」という感情が湧き出てくる事があるみたい。

たとえば、学校などもそうですよね。
この学校はこれを「してくれないから」やめようとか。
もちろん、その基準はそれはそれで、必要です。
けれども、求める事だけ求めて
自分はさておきという現場をよく見ます。

くれないと思ったら
自分で少しでも、
主張や行動してみると良いですよね。
意外と、主張さえしていない人もいます。
目の前の現象は
自分が与えられている結果だったりします。
充分に与えられている結果、
「してくれない」と思うのであれば、
どこかで、その現状に依存と
「仕方なし」という合意が根付いているのかもしれません。

と、最近想うのです。


*  *  *

あたりまえの
ことですが、
自分の人生は
自分でしか味わう事が出来ません。
人は理解はしてくれるかもしれませんが、
その理解は味わう事に本来は意味がありません。

例えば、
おいしいご飯を目の前に
暗い話をされたら
目の前のご飯は
美味しくなくなるかもしれませんが、
おいしいご飯は
常においしいご飯のままです。
だから、
あじわう人次第だなって
想います。

ひとを理解する時に
「たいへんだね」と共感するかたがいますが、
変な言い方をすると、それは
ごく一部しかみていないことがあります。
「たいへん」な見方をしている時は
受けてが「たいへん」な視野しか持っていない時が在ります。

ただcompassionというのは
もともと共にとてつもない試練を被るという意味ですが
同じ試練をとおってもそこから
受けてがかろみに転じることができるなら
共にその重みがとても大切な学び、
味わいになることがあります。

最近、共に落ち込んでしまう現場を見ると
フォーカスや心の振動を
その共通の空間で少し整えることをしています。

先日、仕事仲間の先輩たちの口々から
笑顔でいることが
その場を反転する力だと言っていました。

渾身の笑顔。
笑顔がこころから湧き出るには
自然がとても協力的です。
ぼくらのまわりには
常に協力者しかいません。

常にある自然の流れに
こころを浸すと、
余計な力をそぎ落としてくれます。


* * *

という訳で、
人は影響されていると思うとき、
自分が影響を与えているという事を
忘れている時です。

存在というのは
常に相互で影響を与え合い
螺旋の動きで成長しています。

影響をギフトという言葉に代えても
意味はあまりかわりません。

いかに、そのギフトを味わえるかで
同じ場所に住んでいても
生きている次元が違います。

どうせならより軽やかな
次元で生きてしまうのが
自然であり、本心じゃないかなと
最近想うのです。
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by sanshiro-1973 | 2012-04-21 23:43 | モノローグ | Comments(0)

いつでも自然である私

今日は、
もうそろそろで新月ですね。
福生はハナミズキが咲きだしています。
昨日は久しぶりにウグイスの歌声をききました。
東京にもどったら
ダイヴするように春が待っていて嬉しかったです。

一方で、「しなければならない」ことを
たくさん公私でつくっていて、
ひさしぶりに余裕のない日々を送っています。
余裕のなさの原因は自分で作っているのが
解っているだけに、今日は
頭のエンジンブレーキーで
ピッチをやっと変えられたところです(笑)

原因はけっこう「安請け合い」と「付き合い」、
「盲目的な従順、依存(めんどくさがり!)」
だったりする。自分の意志でないと
とことんめんどくさいことがループする。
そんな覚えがありませんか?(笑)
ただ、これも無意識に選んだ意志なんですよね。
気づくように何度もしてきたこと。
だから、めんどくさいこともなく、
意味はなくない。
経験したら、新しい力にしてしまおう。

「しなければならない」ことがあると思っているときは
瞬間瞬間生きていないことが多くて、
川の激流に流されてしまう無防備な身体に似ています。
防備することなく流れに融合していると
自分自身流れになってしまい、
しなければならないことがなくなります。

自然な流れにいない時はどうするか?

ぼくの場合は圧倒的に
ぼーっと自然を観じる。
花や夜空をじーっとみたり、
自分がしていた動きを
いったん外して
チューニングするように、
整えます。
しかも、そのために時間を
とるのでなく
ごく自然に短い時間でそれをしてしまう。

あと、最近、先日参加したWSの
チャクラチューニングを
自分で真似してやってみると
かなり効果的でした。
ベースからひとつひとつのチャクラを
意識してトップに持って行き
最終的に全身とチャクラで
呼吸しながら全体を観じてみる。

全体というか、自然は
圧倒的に整っている。
だから常に自分も
この自然であることを
覚えているということは
人が喜びをもって生きていることに
直結していると
想うのでした。
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by sanshiro-1973 | 2012-04-21 15:30 | ダイアローグ | Comments(0)

結果を生きている

この数日からかなり
エネルギーの変化を感じます。
今までしてきたことが
実りを迎えるような1ヶ月になると想います。
なので、必要以上に
外からも内からも問いかけられるようなことが
あるかもしれません。

* * *

私たちは常に結果を生きています。
純粋な想いの結果、
間の無い
純粋な発振の結果を生きています。
本来、
そこには後悔などありません。
不安などありません。
もし後悔や不安を今に生み出すなら
すでに結果となって、
そうした現実を生み出しつづけます。
この結果に後悔や不安の意味付けをやめれば
同じ結果も違う意味を与える結果になります。
結果はとても純粋なものです。
生きている痕跡というより
生きていることそのものです。
自然には後悔はありません。
自然はすでに実りを迎えています。

愛は常に、
自ずと実りをむかえたものを
味わっているのです。
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by sanshiro-1973 | 2012-04-19 20:40 | | Comments(0)

ミカエル

ちょっとだけ研修という名の旅行で
フランスがぼくのもとにやってきました。
なれない土地かとおもいきや、違和感もなく
睡眠時間が平均3時間ぐらいでしたが
呼吸を意識するたび
「私はある」という波がゆるやかに静まりかえっていき
別な広がりへといざなう感じでした。

イースター後のフランスは
ミカエルの意識が
語りかけてくるような感じでした。
シュタイナー的に、イースターと対応する
9月のお祭りはミカエル祭だったかな。

図像学ではミカエルは甲冑を身にまとい
右手に剣を持ち
左手に天秤、踏みつけているのは
悪魔もしくは、邪鬼ならぬ竜です。
まるで判断、善悪二元論の象徴よう(笑)
甲冑をまとうのは
不安や恐れを纏い
剣は2つに切り裂き
天秤はその判断をくだす。
押さえつけている竜は
エゴにされた本質のエネルギーを抑えている姿です。
人間ミカエルです(笑)

ただ、キリスト「教」や
あるエゴイスティックな意識により
本質的なミカエルの意識、
役割がねじまげらているのは
間違いないなと想いました。

ぼくの中というか外にあらわれた
ミカエルの意識の働きは、
分離でなく、天と地の融合、
(それは、ルシフェルの想い?)
つまり、肉体、物質におよぶまでの調和であることだと、
そんな感じす。

シュタイナーのミカエル衝動に
近いかもしれませんが、
ミカエルの意識は
枠を越境して新しいものを縦横無尽に
創造してしまう(してしまった)エネルギーです。
肉体を袖にして分離させるのでなく
より精妙にして一体であることを
味わうってしまう万人にやどるメカニクスで
カラーです。
それをミカエルと呼ばなくてもいいかもしれませんが、
ミカエルとここでは呼んでいます。

存在を
引き裂くのではなく
つながっているが分けられている
ものを結びあわせ
融合し新たなものを創造している
そんなシンプルなイメージ。
剣が切り裂くものは硬質化した
エネルギーの滞りで、
秤は計り知れない秩序をもたらす韻律、
足にあるのは湧きあ上がる
(新しいものを生み出すための)
創造的なエナジーです。

分けられていたことの意味は
まさに新たなものを創りだすのに
絶妙に整えられた
ダイナミズムで
存在の動詞です。

* * *

意外や意外、フランスはカソリックの国とおもわれがちですが、
公の学校は無宗教を推進して、
多くの民族が生活している虹のような国です。
そうノルマンディーの空模様のように
変化が著しいけれど、その間を貫く
青空と虹の調和が常に存在している
今があります。
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by sanshiro-1973 | 2012-04-18 16:59 | 天使 | Comments(0)

ある状態にととのえる

今、太陽神経叢から丹田にかけて
より意識をむけることが今全体的に
必要な気がします。

昨日、何の気なしに飛んだブログの数々が
すべてそこに触れていたのは
偶然でもないでしょう。


* * *

突拍子もないようですが、
腸のクリーニングが
行動を助けます。

多くの人の胃腸は
無意識的な食の摂取により
ダメージをうけています。
身体になって下さる食べ物のことは
なおさら真剣に考えるのが自然です。

そして、多くの人が気づいています、
意識の中では、どれを選んでも
安心して食べられるような
世界にしている最中です。

気づいたら、世界に発振することです。
どんどん、周りのものが
本来あるはずの姿に戻ってくる時、

地球全体が本来あるすがたで
ますます輝いてきます。


* * *


赤やオレンジ、黄色などのフレッシュな野菜や
果物を
加熱せずに朝方いただくだけでかなり
違ってきますね。
最近、他の朝食をたべると、
朝から眠くなってしまいます(笑)

過去に整腸を無意識的にしていたが
だんだん結果になって明確になってきました。
その1
その2
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by sanshiro-1973 | 2012-04-07 13:26 | | Comments(0)

この存在をさらに味わっている

以前、感謝がわからなかったという話を
少しだけ書きましたが、
今日はなんだかその意味が
さらに分かったようなな気がしました。

ギヴ&テイクによって生み出される
感謝は本来の感謝が在るところの
部分的な側面でしかでありませんよね。
結構そんな状態を鏡にして
感謝を繰り返している期間があった気がします、

ただ、今、想うのは
あらゆる存在は感謝そのものなんだ
っていうこと。

感謝はしなければならないものでもなく
たんなるお礼ともちがうんですよね。

感謝の意味がわからないということは
とても大事な事で
根源にむしろ向き合っている事なのかもしれない。

目の前の恩寵を目の前にしている状態。
その真実の鏡に映した自らが
感謝だった、
そんな感じ。

この存在をさらに味わっている。
みんなみんな味わっている。
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by sanshiro-1973 | 2012-04-03 21:02 | | Comments(0)