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humming planet

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発振してしまうなら

最近、いろいろ創ってきたんだなぁと
過去を想ってまさにフィルムのようだなと
思って、星野源さんのフィルムという曲を聴いていたら
世界はまさにこんな感じだなぁとシンクロしてしまいました。
とても良い歌です。聴いていただきたいな。

今日は、すこし早いですが蓮の鉢の土の入れ替えをしました。
手が懐かしい泥の匂いがして嬉しくなってしまいます。
土いじりをいしているときは自然と瞑想状態になってしまいますね。

さて、
光はこんなにも輝いています。

* * *


何かに気づいたときに
見える世界が変わってしまう。
変わってしまうというより、
これは
思い癖、ブロックがなくなった状態ですが、
新たに創造したことに近いんですよね。
はじめから以前見えていた世界も
創っていたわけです。

思い癖やブロックというのは、
ずっと同じ発振を
繰り返していただけです。
気づかないとこれが解けない
というわけではありません。
一見、「幸せだ」と想っている人にも
同じ発振の繰り返しがあったりします。
なんとなく幸せ、それでもいいかもしれません。
ただ、見ている幸せのかたちが
もっと素晴らしいものであるなら、
これを想うとわくわくしますよね?
幸せのかたち、質量は、自由自在で無限大です。
もので豊かにもなりますが、
ものの考え方も変わってしまいます。
「もので満たされる」ということがないのがわかります。
「ものとともに満ちている」感じに近いでしょうか。

最初は「嘘」でもいいから見方を
変えてしまうことがきっかけだったりします。
それは嘘ではないかもしれません。だから、
もちろん、するなら
「喜んでしまう」発振ですよね。
この見ている現象も「嘘のような」世界だったりします。
想い方、発振仕方を変え続けてみることで
元からある状態へと自然となってしまいます。

私たちは
想うがままに創造している
光であるのです。
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by sanshiro-1973 | 2012-02-27 12:09 | | Comments(0)

大いなる存在があらわしている無いという動き

「したい」「しよう」という言葉を敢えて使わないように
していたことがあります。
そんな言葉のポットに、想いを投げ入れて
閉じ込めてしまわないようにしていました。
ただ、自然と出てしまう時は
喜んで使ってしまっていました。
無いということが、次へ動き出している
創造の一歩であるかのように。

俳句や短歌などの韻律は
興味深い。
枠をつくって無限を表現している。

「できない」道をつくって、
あらたな道を創るように。
だから、「できない」道は
律せられた道であり、
できる道でもあったんだなと。
している道も律せられた道。
大いなる意志によってね。

それ以上に
その韻律というのは
自然の秩序である。
自然な秩序は
沈黙とともに在るような気がする。

分光しているということは
さまざまな畝をつくりながら
ひとつであることを
表現しているかもしれない。

* * *

何かを失うと
存在を見いだす事が出来る。


無いというのは動詞を創る。
本質的な大いなる在るから
螺旋の動きを創りだし
在るを生み出していている。



* * *


無いということを創ると
在ることを見いだしていることになる。

無いという経験が
ハートの眼に常に見えている
在るを
見るようにしている。

韻律は
沈黙を歌うものだ。
一方、沈黙は
韻律を歌っている
どちらもひとつであり
ひとつは歌っている。
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by sanshiro-1973 | 2012-02-24 21:19 | | Comments(0)

すでに花はさいている、そして、

おそらく、過去のことを、過去の視点で語るのは
今年までのような気がします。

すでに、自分の中の固い外皮が破れているので、
過去の視点で書くことに、味わいがうすくなってきています(笑)。

このブログを最初に書こうと想いついたひらめきの瞬間に
戻ってゆく感じがします。
ただ、戻ってゆくのではなく、
想いにボディをまとわせている段階にきているような感じです。
「ひらめきの瞬間」が「瞬間」でないということに気づいたからか。

* * *


「幸せ」という言葉に逃げ込む必要はない。
今、「幸せ」は味わうままになっている。

もちろん「幸せ」という言葉に逃げ込んでしまってもいい。
今、「幸せ」を観じている最中。

「幸せだ」と想いこまなくても、
幸せはきみの心の舌には到達している。
なので味わいはすでに広がっている。
あとは味わい、楽しむという動詞になるだけだ。

* * *


ぼくらの心の舌は刺激的なものばかり
味わい続けたため、麻痺して
麻痺した状態が、当然のことのように
想っている事が多い。
本質的な味わいは舌に届いていても
気づかないまま。
消化し、それを繰り返す。


* * *


すでに、
花は咲いていて
常に
この花は咲いていて、

この香りもすでに
なたの鼻孔をとおり
脳を刺激し
ハートは常にひらいています。

あなたはそれを見ているけれども
見ないか見るかは
味わうか味あわないかは
自由意思。




* * *

追記:

息子の熱もけろっとひいて、
食事もとれるように。
大丈夫とわかっていても、
この瞬間がくると、
ありがたさがこみあげてきます。

また意識の脱皮が個人的にありそうです(笑)
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by sanshiro-1973 | 2012-02-21 11:31 | | Comments(0)

我慢していたことに気づくこと。

じわじわっと変化している感じがするこの1週間。

息子の体調が変化して、嘔吐を繰り返しています。
病院にいくと、ウイルス性の胃腸炎かもしれないが、
よく検診してくださった結果、薬はいらないという結果に。
数分で診断を終え、薬をだす病院もあるんですが、
病院も変わって来ている気がします。
今日は午後から妻が仕事でしたので、
ぼくが変わって、息子の看病でした。
親として、息子のそばに入れる事は
こんな高熱の時でも幸せです。
こんな時だからこそなのかもしれませんね。
明日には、けろっとしているでしょう(笑)

さて、この数日、
過去のシステムは潜在的な
自由意志とはいえ、
「我慢」の学びだった気がします。
ブレーキを踏んでさまざまな時間を味わうという感じ。

ただ、
あまり巧く学びとして働かないのは
この我慢が無意識になされていることが
多い事です。

世の中、気づくと結構無意識に
自分が我慢していた事に気づくことがあります。


* * *


我慢というのは自らしないと
できないものです。
さらに、無意識に
しかも、それを好んでしていたりすることがあります。

追いつめられた現状があるなら
我慢している現状があるのです。

どこかしら
「力み」があることは、
張りつめている状態とでもいいましょうか。
とはいえ、
秩序が無くゆるいと
自我は暴走し迷走してしまいます。

ただ、よく、我慢をしている事に気づくと
我慢をしないことをきめるんですが、
あまり変わらない現状が残ってしまいます。
何かをしたり、しなかったりすることで
我慢から解放される事はあまりありません。

我慢をすることをしていたとしても、
同じ行為をしているのに
我慢から解放されることがあります。

自分の意志に気づくとでもいいましょうか。
するとその行為をしなくて済むようにもなります。
これは「自然にある」ことに気づくこと。
そこから離れた
ある視点では、「自然な在り方」といえるかもしれませんが、
本質からすると、
「常にある」ことになりますね。

我慢もせず迷妄することもない
ほどよい自然な流れがあります。
むしろ、我慢をしても、迷妄しても、
ここが常に本流であり、そうした現象は
流れのなかの戯れる際の摩擦のようです。
宇宙の柔らかい秩序からうまれたそうしてしまった
「かかり」です。係、引っかかり、懸かり、繋りです。

すべてはその宇宙の采配であるところが
自ずと一致してしまうところに
意志があります。

それに気づいて行く最中に
無意識に我慢をしていたことの
多さにきづいたりして手放してしまいます。
それと同時に、
新しいテキスタイルの織り方を
創造しています。

この新しい創造は
宇宙にとってはすでにある
テキスタイルですが
味わえるのは分光したこのボディだけです。

緊張を見つめ
弛緩で手放した動きの中で、
ここにあるのは
ほどよく調和された音
光であるぼくらです。
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by sanshiro-1973 | 2012-02-20 21:21 | | Comments(0)

こころをひらいている在り方

今朝、起きる前に見た夢は
360度を超えるというものでした。
なんらかのヒントなんですが、
目覚める前にわすれて
うすぼんやりと、言葉にできるところまで
きています。

360度を超えてぐるっと廻るということです。
360度の視野をもつことはハートで見るということですが、
360度を超えると同じ景色になるのでなく
違うスフィアーになるということです。
エナジーの螺線の軌道ということになるのでしょう。

今どちらかというとスローな流れになっています。
これは必要な流れなのか、
ブレーキを踏んでいるのか、
こころに問いかけていみるといいかもしれませんね。

ところで、仕事で最近、
ずーっと昔に関わっていた方々から連絡が来ることが多く、
お会いするとそれぞれがそれぞれの学びを経てまた
引き寄せられて、会っている感じがします。

キーワードは「本物」。

本当におもいっきり話せた人や楽しんだ人は
その本物の想いに引き寄せられてくるんだなぁと想うのです。
そして、また、質の素晴らしいものや
質の素晴らしい場に必ず戻ってくるのではないかなとも。

最近、近くのスーパーに行っても、
声をかけてくる商品が少ないです。
選り好みはあまりしない方ですが、
時々、何も買わずに出てきてしまうこともあります。
なので、
隣町に足を運ぶこともしばしばです。
なぜでしょうね?



* * *



今からは
ものでも、ひとでも
本ものの対話をしてしまう時代です。

本ものとは、こころをひらいているすべての在り方です。
ある意味、遠慮のない想いです。

本ものを選ぶというより
本ものが本ものとともに
世界を創っている時代。

こころをひらかないということは
依存や迷妄に繋がって行きます。
本ものとの邂逅は
自分に素直になって
直感で生きている事です
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by sanshiro-1973 | 2012-02-16 21:40 | | Comments(0)

魂の喜ぶことをしている

twitterでも、ブログでも、日記でも、
手紙でも、あるいは、あらゆる表現でも
意識して発振すると
見ていなかったものが
見えてくる気がします。
受け取っているものを
受け取っていると実感して、
味わうことができるとでも
言いましょうか。
おすすめです。


さて、太陽活動が
この数週間、おとなしく
踊り場の期間が続いていました。
この時期にしては
かなりおとなしいというだけのようです。
こんな時は、「想いをめぐらす」ときなのかもしれません。
おとといあたりから
また膨らんできているような感じですが
なんかいい感じです。

ただ、
先週には、違うシステムを選択展開している
信号を受け取っています。
これは自然と調和したやり方です。
誰かがやりだすのでなく、
すでに流れている流れに乗ってしまうだけのようで、
その流れが多くの方がたに見えてくる感じなのだと想います。

個々の意識がとても大事になってゆくと想います。
つながった意識はすでに動き出していますが、
ボディをもったぼくらがこの流れと一体になった時に
美しい世界が眼に見えてきます。
「流れと一体になる」とは
直感、ひらめきを「実行」するといった方が
いいかもしれませんね。
しなければならない実行でなく、
魂がよ喜んでしてしまう、つまりは
自然にしてしまう「実行」です。



* * *

ところで、
先週、土曜日、久しぶりに
恩師である大津先生のお話の座に参加してまいりました!
とても久しぶりでしたので
懐かしくもあり新鮮でもありました。

個人的には、日々、自分で発振して、
受振することを繰り返していたので
前と違い、受け取るだけでなく
循環をしているようで新鮮でした。
また、仲間を囲んだこの穏やかなムードは
とても懐かしくもありました。

前からお話をうける数日前は必ず、
自分自身意識して
発振することをしていたので、
今回も同じようにしていたら
お話を受ける2日前に受振してしまい、
お話はそのエネルギーを確認、
循環させるような状態になっていました。

今回、感じたことは、

違いを大きく感じ、
違いをかんじているからこそ、
自分のカラーを観じる。


また、
足りていない溝というか、美しいへこみを感じました(笑)
エナジーが降りてゆくところを見つけた感じです。
やっぱり先生は当たり前に凄いなと想う瞬間でした。
一方で、自分も成長しているなとも実感。
(あたりまえか!ひとって成長してしまうものなんです。)

参加されていたおともだちも
より精妙に穏やかになっているようで、
嬉しくなりました。


* * *

そこで、受け取って、発振です。

独立した個々が
魂の喜ぶことをしてしまう

これは別れ際、改めて
大津先生からいただいた言葉ですが
言葉以上のフィンフ(波動)を浴びました。
そこには命の責任を喜んでとっていこうぜというような
個から全体に広がるような響きでした。

生きているあじわいは
肉体を超えたあらゆる層のボディを
最大限輝かせていることです。

輝いて発振されているエナジーは循環されています。
ボディを超えると圧倒的に無限大ですが、
なんで、ボディ、個性をヴィヴィッドに帯びて生まれてきたかを
考えると、この枠さえも美味な味わいなんだなと。

枠を解体して、また柔軟に創造して
美しくすべてを輝かし輝いていしまう。
ただ、戻ってゆくんじゃない。
この全体の味わいとして、
あらたな経験という光を帯びて
循環しているんだなぁと
観じています。
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by sanshiro-1973 | 2012-02-14 15:19 | ダイアローグ | Comments(0)

すべてを愛している

道に転がっている小石に
「この小石、協力的じゃないなぁ」って
想った方います?
まあ、そんなかたあまりいませんよね(笑)

でも、もしそう想う方がいたら
かなり自然を愛していると想いますよ。
ただ、もしその感覚をもっていたら
「協力的でないな」っていうよりも
「ありがとう」なのかもしれません。

ぼくらはぼくらのことにかなり無関心でした。
ぼくら自身に無関心ってことでもありました。

今の自然は自然であるひとにとても協力的です。
ただ、自然のポテンシャルはこんなものじゃありませんでした。

ひともあらゆるすべてのものに協力的で、
常により愛みちた存在をあらわしていると
石も成長するし、あらゆるものが成長して行きます。

いままで自らしてきたことに
申し訳ないという気持ちに
なってしまったら幸いです。
そこに留まる事はできない
流れにすでにのっています。

今、ぼくらは
みんなまるまる愛であることに
すでに気づいています
ぼくらは
常に愛している存在です
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by sanshiro-1973 | 2012-02-10 21:52 | | Comments(0)

モノローグ、ヴァージョンアップのおしらせ

最近の冬の夜空では
シリウスを含む冬の大三角形より
アルデバランやカペラ
金星が主張している感じがします。
それがどんな意味を持つのか発振しているところです。

8日の満月前後から
感情が豊かに揺れて
その結果、収まるところに
収まるようになっているな
と今朝観じました。
鉄は熱いうちに成形しますが
その熱い状態が満月前後のような感覚です。
この前後に想いを発振すると
エナジーの流れが速まる気がします。

今日は、とんでもないと想われる方もいるかもしれない
モノローグです(笑)

まあ、思ったことがある方もいるかもしれませんが、
「なぜ仕事をするのだろう?」ということです。
この仕事はlaborっていうニュアンスなんですけど、

このモノローグは、仕事が好きで、
「仕事」だと想っていない人には
あまり関係ないかもしれません。
あるいはlabor好きなひとにも(笑)

ぼくは仕事を好きになろうとうする時期がありました。
その結果、その仕事が好きになり、楽しみも感じるようにも。
それでいいんだなと今でも想います。
それでもまだ、生きてい行くために仕事が唯一の
支えであるように想ってきました。

さらに、仕事が仕事でなくなる状態が進むと、
仕事をしなくても
巧く世界が機能するのではないかと
うっかり想ってしまうことがあります(笑)

そしてまた、実際にそれを(大金持ちじゃなくと)
実践して豊かに暮らしている方もいると想います。

要は、やりたいことをみつけたんでしょ?とか
仕事のとらえ方の問題でしょ?
ってことになるのですが、
それとも微妙にちがう
すべての人が幸せに生きる流れというか、
その幸せの度合い、周波数で
労働(labor)という過去の考えがなくなってしまうということです。

そして、今。その周波数は、ある一定のラインまで
押し上げられているような気がするんです。

今までなら貨幣経済、資本主義経済を循環させるために
労働力をつくってさえいました。
労働をつくるために貨幣経済は存在しているようなものです。
だから労働がないと不安になります。

労働というのはまだ顕在化してあるとは
想いますが、
今までの感覚でこの仕事感覚をとらえては
なかなか巧くいくものでもない感じがします。

生命全体が巧く働く(work)している循環がそもそも
あるような気がするのです。
それを選択肢として過去にとっていないだけで。


つまり、これは全体意識が顕在化して
ひとつに繋がった状態では
自然とできてしまうことのように想われます。

ある一部の集団や、機関、政治を司る意識が
システムを構築するだけではなく、
むしろ、根源になるのが
それぞれ繋がった個々の意識が
過去にあった集団意識がつくりあげた
古くなったシステムをぬぎすてることから
目に見えて顕在化していきます。


これは過去のシステムの否定ではありません。
過去のシステムが使えない状態で
過去のシステムを使うと
すでにある活きがいい自然な理を巧く
活かす事が出来ないだけです。

* * *

「仕事をしなくっちゃ」、「自分に合った仕事とは?」
「自分がやりたいこととは?」って色々考えた方もいるかもしれませんが、
「やりたいこと」の多くはだいたい「やりたいこと」で終わるパターンが多い気がします。
あるいは、やりたいことをやったあとにまた違うやりたいことをもとめる
それが最良だったのかもしれません。

そうでなかった人は、今まで、人より「やりたいこと」や「仕事、夢」のとらえ方が
違っていたのかもしれません。
「やりたい」が現実に「している」、
「すでにそうある」自然の流れに
乗った人だったんではないでしょうか。

ただ、いずれにしても
それは最良だったんだと想います。


自然な理は今までも一部の人には機能していました。
これからはすべての人がこの流れに浴す事が出来ます。
今までの意識でいう「なりたい」「したい」という考えではなくなると想います。
そんなことよりもさらにここちよい在り方が
今、ここにすべての人にすでにインストールされています。

ただ、活かすか活かさないかも嬉しい事に自由です!
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by sanshiro-1973 | 2012-02-10 11:21 | モノローグ | Comments(0)

光の変化

それぞれが菩薩のひかりになっている

さあ、輝いていることを覚えていれば
この存在はすでに
あらたに創造している存在であることを
覚えよう

夢から眼覚めた後は
身体に勢いのある血がゆっくりと
廻るように
動き出している。
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by sanshiro-1973 | 2012-02-09 13:09 | 天使 | Comments(0)

それぞれが菩薩のひかりになっている

もし仮に
地獄をつくったなら
その中にあっても
自ら輝いていることを
忘れてはならない。

つくってしまったものは
美しい現象、
美しい存在である。

この場を照らしつづけるのは
あなたがたであり
わたしたちすべてである。
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by sanshiro-1973 | 2012-02-09 12:32 | 天使 | Comments(0)