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humming planet

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愛してしまう自然

日本人に多く見られるような気がする事に、
無意識に人に好かれようとしてしまうことだ。
ただ、この根源的に働く力は
「好かれよう」でなく「好かれている」という自然の流れ。

存在をゆるされているということは
よく観じてみるとあらゆるものに愛されていることで
あることに気づく。
自然に身をおくと時に厳しい現象を目の当たりに
するかもしれないが
存在している事自体に深い愛を観じる事が在る。
その厳しい現象さえ、
存在の大いなる循環であったりする。

だが、自分をどこかに置き去りにして
「好かれよう」と頑張ってしまうと
よどみの中でくるくるまわる葉っぱのようになってしまう。

昨日、ふと自分の中のそうした力に気づいた。
今あることを
見つめないで、さらなる和は創造できない。

先日、
「好かれようと想う前に好きになりましょう」と
言った大先輩のスピーチが頭のなかでくるくる回っていた。

愛していると力は
ぼくらの根源より常に流れている命である。
今までもそうだったし、これからもそうだし、
この今もそう。



* * *

「和をもって貴しとなす。」
というのは本来、後ろ向きに自らを抑え
ひっぱり合う力ではない。
お互いに作った城の城壁を解きほぐし
その石で皆が通る道を造るような感じだ。

愛されているという理は
愛しているという理と
大元で同義であり、
実際にそうなのである。

愛されることを求めるなら
めいいっぱい
すべてを愛していることを
認める事だ。
なぜなら
求める前にきみは実際に
愛されているのだから。
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by sanshiro-1973 | 2012-01-30 21:46 | | Comments(0)

循環、手ばなすようになっている

たとえ頭の中をエゴの流れで支配されていても
それを温かい想いで見つめることで光量がましてきます。
見つめるときにハートに意識をむけるといいかもしれません。
汚れた手を水が洗ってくれるように
エゴの流れがもともとに光の流れになるような感じです。
ニュートラルにしようとするとニュートラルにならないので
判断を加えず、味わうんですね。

* * *

世界は変えるものではありません。
変わってしまうものです。
誰かが変えるのではなく
誰かに変えられるものではなく。

ひとつの流れから
わかれたそれぞれの意志で、
結局は元から一つの意志で
変わってしまうものです。

変えるというエゴの力を
ハートで見つめて、あたためて
手放してしまう時に
変わってしまうという
真に自発的な流れになるような感じです、


* * *

より素晴らしい選択をする今、
かならず
手放すことがあるんです。

それは手花しちゃうという感じです。

なにか持っている片手で
新たに違うものを握りしめる時に
その片手に握られたものを
放してしまうように

手花しちゃうんです。
ぱーっとね。

持っている花は
絶えず過去になり
手放さずにいると
その手に持った花は枯れる。

今は常に
生命の流れと一体で
ここには永遠の花が咲きほこっている。
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by sanshiro-1973 | 2012-01-30 00:35 | | Comments(0)

瞑想からの気づき

最近、空海を感じます。
空海という感じの意識。
私は空海に造詣はないのですが。
ただそれが、
大日如来やキリスト意識のようなかんじです。

そんな先週。
27日から仕事で熊本へ行ってきました!
そして、先ほど、実家へ帰宅。
熊本へ行く前からいろいろあり
その分だけ気づくことがたくさんありました。

26日の朝から左眼の奥に打撲したときのような
鈍痛がはしりなんだかわからないまま
27日夕方の空港で、わけのわからない仕事の対応をしていると
その鈍痛は熊本に着くころには消えていました。
痛みがなくなったというよりは
手放した感じ。
それはあらゆる想いをニュートラルに観察できることが
日常のあらゆるシーンでできるように
なったように感じた事と同時に起きたことでした。

その27日の夜から28日の朝まで
怒涛の脳内つぶやきがくりひろげられ
エゴがなにか創造的なものに
転換されてゆくような感じでした。
28日は午前中からプレゼンが控えていましたが、
一睡もしないまま朝を迎えました。

ただ、これは淀みない意識の流れで
観察してもとめることができないのでしばらくそのままにして
28日を過ごしました。
28日はどうやら太陽もシンクロするように
フレアーもXクラスのが噴き出していたようで
そうだろうなという感覚でした。
ただ、またこの2、3日のうちに
こころとからだのさらなる変化がはじまるような気がします。
みなさんのもとにも!もちろん素晴らしいことがね。

29日はさすがに23時に眠ったのですが、
眼が覚めたのは4時!からだの疲れがとれていなかったので
1時間お風呂にはいりながら瞑想していると
意識がとめどなくながれてしまいます。
は~あと想って、頭からハートにフォーカスすると
ふっと意識の流れがとまり
ポーと全身があたたかくなり
5時から8時までぐっすり眠れました!!
それが今日の朝というか、もう日付が変わったので、
昨日ですね。

今日もプレゼンテーションがあったのですが
用意した内容は8割しか伝えられず、
全然うまくしゃべれなかったのですが、
評価が高く、感動してくださるお客様がいたのが
不思議でした。
評価は純粋に嬉しいのですが、
あまりそこにたちどまることがなく
次にしてしまうことを想っていました。
だってほんとうに噛み噛みだったし
時間も押してしまったし、
やばいって感じでしたんだもの(笑)

なぜなら、感動っていうのは
聴いていた方々が
積極的にここにある意識を
創造的なものに還って
いっただけなんですから。

来られていたかたの意識と
つながっている感じだったので、
プレゼンは単なる表層的な
表現だったのだと想います。

そのプレゼンの最後の2分ぐらいは
真我の触手がそれぞれの意識と手を
結んだような気がしました。
それがたぶんすべてだったのかなと想います。



つづく…
(昨日の瞑想からの気づき)
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by sanshiro-1973 | 2012-01-30 00:14 | モノローグ | Comments(0)

密度の濃い光が拡大している感じ

今、福生では雪が降っています。

今日は16時39分ぐらいに新月を迎えたそうです。
おそらくこの数日、なんらかのずずっと
内的なり外的なり変化が起きそうです。
惑星間で気持ちをあわせているように
太陽もお昼ぐらいにフレアーをだしましたね。

今日まで、感じたことを
ここちよく手放すが
ぼくのテーマです。

古代から続く詩法で
遠いものを連結すると
新しいサムシングが
生まれるというものがあります。
巧い例がぱっと浮かびませんが
有名な詩句から
「麻酔されたような空」とか
そんな感じです。
オキシモロン(矛盾撞着語法)なんかもそうですね
対立している事項を調和させるような感じ。
例えば、「潤う火」とか。

これは意図的に効果を狙って
生み出されている詩句だけれども
これが自然に生まれてくる事があるかもしれない。
比喩でなく「燃える水」とか。
詩に限った事ではなく
今、強くフォーカスしている事を手放すと
「ある」から新しい光の芽が伸びてきます。

* * *

「生まれようとしているもの」は
「すでにある」もので、
今までの地球の周波数のなかでは
フォーカスや想いの硬さというか
柔らかい縛りがかかっていたように想います。
だから一旦手放して、シナプスを
別な違いにつなげることによって
ひらめきが降りてくる。
このひらめきはすでにあるものからの
お知らせみたいな感じで、
縛りというか「封」を解く事によって
絶妙なタイミングで
「生まれる」という動詞になっている。

ある宇宙からみると
生まれるというのは
引き出しをひくような感じです。

* * *


今週は仕事スケジュールが過密です。
終末は出張で熊本。
久々に大勢の人の前で話します。
熊本はマイルーツ!
とても楽しみです。
今年は九州で何かが変わるような感じです。



追記:
今日、ロウバイという黄色い花をつけた樹木に出逢いました。
花言葉をしらべると、「先導」と「慈愛」。
なにかこのふたつのことばがひとつのように感じたんですよね。
先導っていうとワクワクして待つ側のフォーカスからでてくる言葉で
慈愛っていうとじゅわーっと常にハートから流れている歌のようで
別な視点で発せられる言葉のよう。
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by sanshiro-1973 | 2012-01-23 20:33 | | Comments(0)

整えている根源的に流れている波

昨日の早朝に、
観じた感覚は11月にも体験済みな感覚。
幸せはカラーリングのよう 』。
朝、眼が覚めて横たわっているけど、
とても穏やかな波がハートから流れ出している感じ。
息子が夜明け前に38度の熱を出して、
アロマをたいて、そのまま一緒に眠りこけて
目覚めるとそんな感じになっていた。
眼が開いても瞑想状態な感じ。
息子の熱も下がっていて、
翌日が、土曜日だからということもあって、
インフルエンザかどうかの確認もあって病院へ行くと
風邪だった。

その時、ある根源的な穏やかさは
ある整ってしまうエナジーを運んでいるように感じた。

ただ、目覚めた直後、
「無茶するといけないよ。」と
誰からか(直感の声というより誰かからの
アドバイスをもらっていました。
息子は1日元気に過ごしましたが、
今日再び熱をぶりかえしました。


そんな今朝、
息子は朝ごはんを食べないと言い張る。
「元気になるには食べなくちゃ」という
親の思い込みから、
なんどとなく食べるように説得しましたけど、
何口か食べて、あきらめました。

数時間後、息子の「食べない」は自我の
「食べない」でなく、自然な現象ように受け取りました。

前にも言及したんですが、
風邪ってひとことで片づけてしまいがちですが、
身体やこころの変化は
ひとの自然を整える作業で、子供だけでなく
その周りにかかわるひとや空気をも整える
自然のエナジーのように観じます。
「デトックス」作用という方もいるようですが、
それは働きの1部だとも言えます。
もちろん、それぞれメッセージは違いますから
通り一辺倒の対処でどうにもならない時もあります。
今朝の息子の主張は、自然な主張ってことだけは
なんとなくわかりました。

昨年、あるお医者さんに
「数日食べなくても死にはしないから、
逆に無理させないように、
水分だけ少しずつから、取って頂いて、
親が見守っていれば大丈夫」って言われた時、
なんだか、思い込みがほどけたとおもったけれども、
今回も同じこと繰り返しているなと。

自分のからだのように真剣に
息子のからだを感じるということは
全体の流れを感じることにつながると実感。
親にさせていただいている責任を
マイナスで感じ取るのでなく
豊かな責任として受け取っています。

まあ、今日は、
まだまだ直感を信じ切れていない
自分がいるなぁと省みて
今日中に、方向転換してみました。
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by sanshiro-1973 | 2012-01-21 17:30 | モノローグ | Comments(0)

今、過去の視点からするとプラスでしかないところからの飛躍

新月近くになると
こころもからだもたましいも
整理整頓されていく感じがします。
古くなった角質が代謝によってこぼれおちるように。
太陽活動もふたたび活発になってきているので、
なんらかの美しい波がやってくる感じです。

さて、この数日のメッセージがなんとなくまとまってきました。

過去の周波数だと、
マイナスからの出発に思えた事も、
今においては
マイナスではなく、
すでに実っていたゴールであるということ。

たとえば、過去の視点、周波数の場合、その多くが、
want(欠けた状態)と思われるところからの上昇であって、
癒すのも、治すのも、必要を埋めるアクションも、
救うことも、リスクヘッジも
すべてプラスで安心安全な行動に思えてはいるものの、
プラマイゼロのエゴの動きでもあったようにも想われるんです。

もちろん、結果として本質的には
それらすべては一連の素晴らしい創造で
肯定でしかない現象だったわけですが。

ただ、今は自然の流れ、創造の質、密度が
過去の視点からすると
かなりヴァージョンアップしていると想います。
満ちている状態から上昇しているんですから。
「こうあるとより素晴らしい」という連動です。

楽しみですね!
いや、すでに楽しいです!


追記:
過去の視点で話をすると感覚のラグができるので、
ほんと、映画を見ているように感じます。
なんか、うまく表現できているか解りませんが、
今はプラスでしかないところからの出発到着です。
過去においても実はそうだった訳ですが。
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by sanshiro-1973 | 2012-01-20 11:31 | ダイアローグ | Comments(0)

つれづれティブレイク

今日は訳もなく(訳はあるのかも)
ハートが弾んでいます。
3歳になったばかりの息子に
元気玉からのコマネチを伝授しました(笑)

ティーブレイクを何回もしながらPCに向かったり
向かわなかったり。

嬉しいことに仕事もお休みというお休みが
この2週間なかったので、
今日、明日は少しお休みモードです。
すこし、自分で時間を創ってしまおうと決めました。

それでもって、
家族で1週間ばかり(正確にはもっとかな)
眠い日がつづいています。
この数日は特にです。けれども、
息子と奥さんは10時間は寝ていると想います(笑)
わくわくするようなエナジーがやってきているんだなぁと
実感しています。
太陽の活動もこれからまた
昨年の2月から11月にかけてのように
活発になってくるんじゃないかなと想われますが、
ちょいと、趣きが違うような気もします。
人を起こすときに揺り動かすようなエナジーが
昨年だとしたら。
今年のエナジーは、
「わくわくするような共感があるよ、ハイ」っと
手渡されるような感じです。
目覚めの美味しい水のような感じです。

2012年というのはそれぞれにフォーカスを与える設定で、
それぞれの意識の密度が高まり周波数があがりやすくなります。
その前後でも継続してすでにはじまっていることなんですが。
2012年以降もこの上昇は今の時間感覚だと長く続く感じです。
基準にしているのが、過去の感覚なのであてにはなりませんが。
お祭りの真ん中って感じですかね。
このお祭りは天文学的な時間を要して
すでに始まっているんですが、
すでに決められていた、すでにある現象でもあります。

みんないろいろ気づき始めています。
そして、世界平和なんて当たり前のことだったって。
なんでこじれちゃったか、
くよくよする時代は充分あじわったんじゃないかなって。

具体的にも
昨年まで仕事で使っていたプレゼン用の資料や
考え方、表現の仕方がとても古く観じています。
明らかに手放すものは手放して
受け入れるものは受け入れてしまう時がきていますね。

今週前半は個人的に
太陽神経叢の調整でした。
整理整頓、大事ですね。
いくらなまけもののぼくでもね!

より自発的なあたたかい衝動、
自然な流れに乗っています。

寝ている自分を起こすのは
救世主でも、リーダーでもなく
だれでもなく自分自身です。
そう1枚布のぼくら自身です。
ドミノような孵化がはじまっています。
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by sanshiro-1973 | 2012-01-19 15:00 | モノローグ | Comments(0)

抽象スケッチ

自分を無くそうということではないね。
きっと。
わかれていてもひとつだからね。

自分だけきれいさっぱりって
なわけにもいかないけど
自分がきれいさっぱりでないと
全体がきれいさっぱりって
なわけにはいかないのに似ている。
泥の手で顔を洗うことはできない感じだ。
泥遊びを味わったら泥を洗い流して
顔を洗おう。

導いているってことは
卵の孵化に似ている。
より自発的な動きですね。

1部の因子が導いているのではなく
すべてがひとつとなって導かれ導いているという
動きですね。
ただ一部の因子の孵化は全体の孵化だから
全体が孵化しているとしたら
一部の因子は孵化していないということはない。

このエナジーの動きは
螺線のエナジーで
壮大なテキスタイルになって
そのテキスタイルも振動して
形を変えてきらきら創造している。
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by sanshiro-1973 | 2012-01-19 11:21 | | Comments(0)

直観、即、実り

今日、受け取ったことは
昨日の続きになるかもしれません。

おとといの仕事の勉強会で
先輩の方がいった何気ないことばが
無益無害。

ぼくの発言は無益無害にしか
聞こえないというニュアンスだったのですが、
その時、そうなんだよな~と省みました。
そうぼくは無益無害、
循環する動詞そのものが美しい、
だからここにある存在は
素晴らしいと表現していたんですね。

無益無害の感想から
たださらに、「満ち足りたら流れる」ことを、
その「無益無害」でたち止まった意識から
受け取りました。
無益無害は判断からはなれるゲートですが
創造はしていないという波動のようです。
なんか、今はこんなかんぢ。

さあ、どう、
あるか?

また、昨日も、仕事の会話の中で、
「やっと、世間は気づいたけれども
今の世の中の流れ、現状がとても遅いと感じる」
と自分自身が発言した時も、
「遅い」と感じたら
「すでにしている自分があるよね」という
自分を観じました。
「すでにより素晴らしいここに流れている今がある」んだねと。

「あうん、ふんまっほほ」(来週のサザエさんは的に)
そのとおり!



* * *


多くの現象はマイナスの立地点からの
プラスの動きへ向かうように
一見思われた。
ふと気がつくと、プラスで伸びあがったところが
すでにマイナスになっているようにも思えた。

そう、思われ、思えた、思い込み。
思いこんだら試練の道だったりします!?

思ったのは誰だろう?

ただ、美しく生きようとすること、
それがどれだけ今まで、難しく感じたことか。

ただ美しく生きてしまう、本質はここにあります、
それは螺線の動きで美しく
誰にでも、何にでも、活きてはたらいている
エナジー。


あじわうこと。
より素晴らしくなっている
今を味わうこと
美しく流れている今を
今と一致してともに
美しく流れている。

どこに、マイナスの立地を見出すことができるのであろうか?
それを観じたら、観じただけで、
それはきみ自身の味わい。













* * *
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by sanshiro-1973 | 2012-01-19 11:01 | | Comments(2)

直観 ー 今を観じている

やりたいこと、
したいことを求めているってこと
ありますか?

ぼくはありましたが、
意外とそんな状況のとき、
やりたいように、したいようにやっている
自分にきづいたりすることがありません。
(ちょっと変な言い方ですね。)

「人生は一回かぎりだから
生きたいように生きる」っていう言葉よくききますが、
生きたいように生きていることに気づけば
この言葉はあまり意味のない言葉です。

存在というのは生きたいように生きているから
存在しているように観じる事があります。
存在自体とても素晴らしいなって。

どんな状況のなかでも
生きたい自分をいきているんだなと最近想います。
それがあまりにも「そんなふうに想えない」状況でも。

それじゃそんなふうに想えない状況のとき
これがやりたいことなの?って考えた時、
どうすればいいか?

どうすればいいか?というより
今、どんなで「ある」かを観じてみる。
そこにはそうするようになっていた
そして、そうしてしまう
エナジーが働いているかもしれません。

今の自分を味わうことなくして
次を求める中で、
新しい創造を顕在化し、命と一致して
調和である事は意外と難しい。
今を味わっているからスムーズに
フローする事ができるんですね。

どん底にいると観じる場合、
ここはすでにマイナスからの出発でなく
創造という見地からは、
プラスからの出発であって、
すでにゴールであって、
判断を超えたニュートラルな今なんです。

自己探求ってことば、
実はまえまでしっくり来ていなかったんですが、
ここにある今とつながっている
すでにあるひろがりをいかに味わうか
いか表現してあるか、
「する」というかんじではなく
「ありつづける」ことに「する」という動詞が
尾のように線をひいているような
観じです。
「存在の喜び」
「存在の味わい」
そんな観じです。
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by sanshiro-1973 | 2012-01-18 03:30 | | Comments(0)