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humming planet

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螺旋に振幅している穏やかな波

今年の年末はさらにとても穏やかです。
いろいろな力みがとれたようです。
ひとつまえの動きを手放して
今、この今に生きています。

その中でも
家族と過ごすことは
創造的な今をつくっていることです。
そして、それぞれの家族から穏やかな波が
生み出されているのを感じます。

今まで出逢ったすべてのことに
感謝しております。

ありがとう


* * *

太陽の活動がまた活発になってきました。
12月は小休止のように、
階段の踊り場のような感じです。

例えば、嘔吐を伴う風邪の流行は
身体を整えるための全体作用のように感じます。
丹田からハートにかけてのクリーンナップとともに
新しい創造がすでに始まっている事を
示しているようです。

今年は南天や常磐山査子などの
赤い実をつける木にたわわに
実がついているのが眼に飛び込んで来ます。
今まで起こって来た事が全ての糧になり
新しき今に種を落とそうとしています。

こころとからだとタマシイは一体になって
宇宙全体の美しさを表現しています

今、地球全体、
宇宙全体生命は
ひとつの調和の在り方を表現しようとしています。

主役は私たちひとりひとりです!
素晴らしい年を今迎えています。
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by sanshiro-1973 | 2011-12-30 18:00 | | Comments(0)

光ある

今晩、
日をまたいで明日の3時ごろ
新月を迎えます。

冬至の付近の新月というのは
より強く光を感じさせますね。
それはぼくらのなかにある
光が一方で強く意識できるからに
他ならないからだと想います。

ぼく自身よく昔から湧きあがる想いなんですが、
ぼくら自身が光の突端に常にいるんだと想います。
照らすことと照らし出されることが対にあるのでなく
ひとつとなっているんですね。


* * *

今、
光の訪問はいたるところにあります。

あらゆる周波数のまじわりがおこり
ひとつである美しい今が
この地球が与えてくださっているギフト。

低音から高音までの音が和音になって
より穏やかでたおやかな空の音は
照らし、照らされています。


ぼく自身は灯っている
きみ自身は灯っている

灯っている動詞そのものが
ぼくら、それぞれの存在です。

じんわりと、
あらゆるものが照らし照らされ
照らしあっています
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by sanshiro-1973 | 2011-12-24 17:12 | 天使 | Comments(0)

ハートはつねに灯っている

昨日の冬至は薄曇りでしたが
とても光を感じていました。
高速ではしる光が
そこらじゅうに満ちている感じです。

陽の照るこの瞬間を味わっている。
この冷たさのおかげで、ひとつとなって
温もりを感じている。

常にハートが穏やかでいても
この感覚のスロープは楽しめるんですね。

どの次元にいようと
そこを照らしているのは
ハート。

一見分離しているように感じられている時も
照らしているのは
私、ハート。

この世界は美しいと観じる。

私は常にこの地球にあり
すべてをうちなるハートの
日の元から照らしだしている。

消滅することのない
エナジーは循環している。

水が気化して蒸発するように、
振動をました私たちは
光でもいられない光になり
より精妙な存在として
ひとつである
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by sanshiro-1973 | 2011-12-23 08:22 | | Comments(0)

カイエ — 観じてみる

わかるということと
生きるということはかなり違う。
幸せがわかるというのと
幸せを生きるというのがかなり違うように。

ただ、わかるというのもたいした作業で
クサビをうって確認、反響させる作業でもあるんですね。
或は想いを発して、潜水艦のソナーのように
存在をかたどる、存在を顕す行為。
わからない領域に袖を通して味わう行為でもある。

そして、もちろん、わかることが
すべてではない。



* * *

この数日、判断したり、決めつける前に
現象を自然と観じてしまうようになっていることに気付きました。
なんだか前の自分からすると不思議なんですが、
わかっていることから生きている状態に
なったからなんだと想います。
ぼくは
生きていたんだ!(笑)

* * *

なぜか、ふと今日想いだしたこと。

大学の教育学の授業で先生が
話してくれ子供の話。
(もしかするとよく知られた話かもしれない。)

子供が画用紙いっぱいの真っ黒の絵を書いているのを見て、
先生は「何を書いているの?」と聞いたら
「クジラ」とひとこと。
どうして、画用紙一面真っ黒なのか
さらに、聞いてみると、
くじら全体ははこの画用紙に書ききれないから
1部を書いたとの事。

実際、その先生受け持った子供の話かどうかはわすれてしまったけど、
その先生は毎回、自分自身の枠からはみ出る試みをすることを
教えてくれていた。
それぐらい、人はワンダーに満ちているということ。

その先生は実際、小学校で長い間、教師をしていた先生なんですが。
今考えると、とても素晴らしい授業を受けていたなと
想うのでした。


* * *


数日前に、近所のパパ友が、あるTVを見て
感銘したことを僕にはなしてくれた。

そのシーンは、先生が子供同士の喧嘩を
どちらが悪いかを判断せずに
どちらの言い分も同じ場できいて、
判決をくださず、
それで終わりにする現場だったとのこと。

お互いが自分の言い分をいうことで
自分を自然と観じる。
そして、相手の言い分を聞く事で、
相手の想いを観じる。

さあ、いかに生きているか?

 * * *

ぼくらにはほんとうの自分に袖をとおすことなく
ぴちぴちな自分にはまってしまうことがある。
でも、そんな自分も肯定できる日が
この今にある。

* * *

『終わりよければすべてよし
のあるパターン
全体を俯瞰する感じで。』


(一見)ネガティヴな現象にネガティヴな意味づけをしている

 ↓

ネガティヴな現象をポジティヴに強制して意味づけする。
(見ないふりをする、ポジティヴを頑張る)

 ↓
ネガティヴを考えないようにする。
ポジティヴがなんとなく板につく。
(ただネガティヴな現象があると認め、判断している)

 ↓

ネガティヴな意識を発見した時、喜んでしまう自分がいる。
(学びとして転換できる、或いは全体が見渡せる。ただ、ネガティヴを認めている。)

 ↓

寝ても覚めてもポジティヴにしか想えない。
或は、ネガティヴな現象が一切おこらない。

 ↓

現象をニュートラルに観じる。
全肯定を生きている。
命は肯定を生み続ける創造。
むしろ、やっと、本質に戻って感。
ここがはじまりで永遠。



今、どこを生きているか?
生きているところは実際どこでも変わらない
これをどこかで
わかっているんだと想う。

今、全行程を全肯定で生きている。

どこにクサビをうって離れないでいるかは
たんなるワンシーンで、
戯れ。

流れが真理、いのちそのものなら、とどまることは分離、戯れ。

* * *

いかに味わっているか
いかに生きているか

観じてみる。
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by sanshiro-1973 | 2011-12-16 20:34 | モノローグ | Comments(0)

耳を澄まし、こころを澄ましている

散歩の時、
ハートに意識を向けて集中していると
ハートのあたりがポカポカしてきます。

マントラを唱えて瞑想する方多いと想いますが、
くつろいで、ハートが凪のようなときに
マントラのような振動がハートから
すでに流れているように感じます。
つまり、常に流れている。
(ちなみに、ぼくはマントラを唱えていません)。

ぼくはなかなか「瞑想できない」と想っていたんですが、
それはどうやら違うようで、
「瞑想」自体に余計な知識を
つけていただけなんだと思いました。

今日、直感で
絶え間ないハートから流れる波を流れていると
自らが命の海原、
空(クウ)であることに気づくんだなと想いました。
これは誰かにとっての特別でなく、
万物宇宙の法なのかもしれません。

どんな干渉があっても、
自分の穏やかなところに集中していくこと。
今まで、干渉や抵抗の波にどっぷり浸っていた方も多いと思います。
でも、この周波数帯に浸っていた自分が自分ではないんですよね。

これは今すでに
はじまっているぼくのワークです。
すべてのひとやもののハートから流れている
穏やかな波こそ本質から流れてくるメッセージで
この周波数帯に多くのひとが共鳴して
フォーカスしていくと
集合的なエゴイズムがほどけていくんじゃないかと。

鍵を探すのではなく
鍵穴は自分。
しかも、すでに鍵はすでに鍵穴にはいっている。
さあ、どうする。

imagine!
まさに、穏やかな状態を想うこと。
自分の意識だけが広がっているんでなく
すべての意識がすでに調和として広がっている。
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by sanshiro-1973 | 2011-12-13 17:49 | | Comments(0)

あらゆるかたちでひとつをあらわしている

さて、めずらしくなにもやりたくない数日を過ごしています(笑)
手放し作業の1週間だったからか?
むしょうに掃除したくなったり!
からっぽにして私と向き合う。
からっぽにして宇宙と向き合う。
からっぽにして宇宙である。
とにかくからっぽでいいと感じる(笑)
そんな数日、
たぶんまた違うステージに気付いたんだなと想います。

今日10日は11日に日付が変わる前に
満月を迎えますが(皆既月食らしいですね!ワオ!!)
今回はちょいとした変革タイミングだと想います。

* * *

何かを利用したり、何かに頼ったり
何かを使ったりする時に
自らの意識をその「何か」と一致させないと
その「何か」は
その意識からすると「機能しない」ものとなります。
実はこころとその「何か」が分離していることとして
「機能している」んですが!

たとえば、野球。
バットがボールを打ってくれるとは想わないですよね。
見るとバットがボールを打っているんですが、
打っているのは打者とバットの意志、
ボールの意志が一致した状態で
(そして、また投げ手の意志、そこにある空気の意志と、
全体の意志が一致して)
打つという動詞が機能するんです。
(こんな壮大なエネルギーの展開が
何気ない動きのなかに凝縮されている!!)
或は時に、
打者はバットがボールを打ってくれたと想うかもしれない。
その想いは存在への感謝が反響しているにすぎないように想います。
つまりこの自らを存在を含むすべての環境、全ての存在への
感謝、喜びの想いですね。

たとえば、何かの特攻薬があってもそれが
何かを治すのではなく、
その薬の意識に袖を通す自らの意識が
整っている宇宙にエナジーをフローさせただけな感じ。

たとえば、
身の回りの常在菌と常にひとつの意志を共有して
ぼくらは生きている。
そして、自然ともね。

離れて行こうとする「行為」をしているのは
自由なエナジーの動きがエゴという名で
いろんなかたちで
莫大なエナジーを使って動いているように想う。
 


* * *

最近、どの次元にあっても
愛が自由にわたしをゆるしているの観じます。
そう、私は愛と
シンプルに歌ってしまう

それぞれの
わたしは
かならず成長している。
ループにみえる動きを
螺旋にしたかたちで。


* * *

心が揺れている状態で
あるがままで「あろう」とすると
わがままになってしまいます。
心が揺れている状態も実は
離れようという力が働いた
あるがままの状態。
心が揺れていると気付いちゃったら
揺れている自分を観じてみる。

コアになるハートが
瞑っていませんか?

ただ大丈夫、
眼は瞑ってもハートは常にひらいています。

眼を覚まそう。
もうひらいているから。
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by sanshiro-1973 | 2011-12-10 05:04 | | Comments(0)

スーパースターズ

自らの存在を肯定しようとすることと
存在自体が肯定というのは全く違うな〜と
最近観じます。

ネガティブな思考がループしていた時って言うのは
自らの存在を肯定しようと頑張っていたけど、
対処でしかないんですよね、これって。
一時はかなり立ち上がれる、でも
また戻って来てしまう(笑)

最近、存在というのははなっから
肯定なんだなって追体験してる。
すると、いろんなものが美しかった事に気付く、
自らを含め全てが特別なこともなく特別。

小石が世界を変えるなんて
思いもしなかったら
世界は変わらないけど、
変わると想ったら
変わってしまう世界が誕生する。
小石とういう存在自身が肯定だと
信じきって当然のごとく
歌うっていうのはロッケンロールだな。
存在って実に美しい。
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by sanshiro-1973 | 2011-12-01 19:18 | 天使 | Comments(0)