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humming planet

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うるおぼえの宇宙はしっかりと今ここにどっしりと

前にもふれたことですが、
気付いている方も多いとは想いますが
親や大人は、こどもに
知らないうちに
癒されていたり、与えられていますよね。

これは、子供だけでなくて
言われなくても解る事だけど、
自分の周りの自然にも、
癒され、与えられている。

そして、さらに
うっかり忘れちゃいがいちになるんですが、
自分も子供や周りの自然に安らぎや
癒しを与えている。

穏やかな愛のエナジーに
一方通行はないんですよね。
どこかで循環して
それが全てとなしています。
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by sanshiro-1973 | 2011-11-30 11:41 | 天使 | Comments(0)

幸せはカラーリングのよう

今日、というか、明け方、
ふと目覚めたとき、とても穏やかだった。
そして、一日を振り返ると、
幸せってカラーリングのようだなって想った。
自由に色づけできるんですね。
幸せでない事がなくって
仮にあるとするなら
anti-happy color(反幸せカラー)みたいのを
自由に色付けしている感じだね。

幸せって
誰かに幸せにしてもらうものでもなくて
幸せになるものでもない。
幸せはすでにあって、
常に創造しちやうものなんだぁって。
確かに「なる」という演出はあるかもしれない。
ぼくらは「なる」という感覚、演出を味わいたかったんだね。
それでもって「すでにある」という感覚は、
誰にでもある。
違う事やひとつの淡いカラーに夢中になって
その感覚に鈍感になってしまうことがあるぐらい
ぼくらによりそってはなれることがない。
anti-happyカラーは劇的で激的な
化学反応を演出する薬のようで
1度は味わってみたい!?妙薬なのかもしれない。
あまり笑えない激薬(笑)
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by sanshiro-1973 | 2011-11-29 21:28 | | Comments(0)

おおいなる潮流で逍遥

何かを変えようという気持ちは無く
何かが変わってしまうという気持ちが
最近、大きく自分の中に流れるようになっています。
もしかするとみなさんの中にも
同じ潮流があるのかもしれませんね。

だいぶ前ですが、
「あの人たちに言っても変わらない」とか、
「あのひとたちって、見方が狭いじゃない」とか、
あたかも自分が特別意識をもっているかのような
言葉を自分自身でも使っていましたし、
仕事でもさんざん聞いてきましたが、
それは、あまりにも身勝手な態度だなって
想うことがありました。
こうした態度の裏に見えてくるのは
今にいない幻影への「依存」であって、
多くは空虚なものに依存していることが多いんですよね。

よく自分が変わると
周りが変わるといいます。
それと同様に、
周りが変わらないと思う力は
周りが変わらないということに力を与えてしまいます。
ただ、そう思っている最中に、
周りが変わってゆくとするなら
あなたには溝ができてしまいます。
変わってゆく流れのなかにたどり着く枝が仮にあるなら
その枝に自己同一して、また依存の岸辺にすがりつく。

そんなことを経験してきました。

ただ、最近は、
知らず知らずに持っている「変えよう」というエゴの力を
「使わず」、(仮に使ったとしても
ポジティヴな肯定力ですね、)
「変わってしまう力」になっている気がするんですね。
整う流れがあることに気付いたというか、
そんな感じです。
肯定力っていうのは自然な流れにとても近い感じがするんですよね。
使っていると、それがニュートラルな状態になるからそうなんでしょう。
ポジティヴなことを否定する力は
ドラマティック、つまり「劇的、激的」です!
すごい波がたつんですよね。
波乗りは楽しかったかな?

この変化自体が自身であること、
大いなる潮流に身をゆだねる
この浅さも深さも
頭をつきだす波になったり
波したの力強い流れになったり
それよりも深いしずかさになったり
人生は楽しいね。
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by sanshiro-1973 | 2011-11-23 08:05 | モノローグ | Comments(0)

カラフルな光

最近、金星が気になります。
金星人がきているのかしら(笑)
今日は雨ふりで
静けさだけがふかまるばかり。

息子が発熱して、39度までいったので
昨日は病院にいきましたが
どうやら、落ち着いてきたようです。
昨日ふと、
息子の身体のなかで菌が時計仕掛けのように
目覚めているのかなと感じました。
この菌かなり協力的な感じです。

ぼくも身体も整っていく感じと同時に
なんかふわふわした感覚になっています。
この1週間は過去のことが夢にでてきたりして
なんじゃらほい?
今朝、目覚めたとき
過去も今に在る感じがして、
いろいろヒントをくれているんだなぁと。
そしてね、昔から
ぼくはこの今にしかいなかったことにも気づきました。

さて、そんな今朝、
手の影が薄れて淡くなってひかるような
イメージが浮かびました。
そして、ぼくらは存在を影で確認しているんだなと想いました。
そしてこの影はエゴとか、言葉とかかもしれない。
この3次元ではこれって手ごたえありますものね。
いつのまにか、
この確認がないと不安になってしまったのかなと。

昨日、久々に、駐車場で車の運転を注意されて
自分の強烈なエゴを観じたのですが、
なんでこんなことに自分はムキになるんだろうって。
最近、こんな感情も起きてなかったので余計に。
それでもって、ずーっとこの感覚を観じていたんですが、
これって、ものすごい勉強になりました。
このエゴが出た瞬間、注意した相手は自分だとも思えたんですね、
それが自分が自分を否定する動詞と化していたんです。
注意した相手は、ただ注意しただけ。

自分ではないと思うことって、自分にとっては
抵抗感があって、今まで、人類苦しかったんだよね。
肯定そのもので存在しているのに、
エゴってやつはとてもユニークなことを仕掛ける。

「他者をつくる」ということはまず
ひとつという全体存在の肯定を忘れて
「自分でない」という否定から溝を
つくっているのかもしれないね。
「他者」も根元はひとつだから、結局
現象は自分でつくっているんだけど、
うまれてこのかた、
「ひとつである」ことを忘れてしまっているから、
「溝をつくる」ことを主流にしてきてしまったのかな。
(他者をつくっちゃだめということではないよ。
他者をつくって、どうあじわうか、
在り方が大切なんだよね。)

この溝は深いようにおもちゃいがちだけど
実はカラフルな光の識別なのかも。
より宇宙がカラフルであることを
この存在がひとつとなってあらわしているんだね。


さて、金星人はいずこへ~。
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by sanshiro-1973 | 2011-11-19 15:02 | モノローグ | Comments(0)

re-solve, re-volve, re-cord,

新しいことを受け入れるとき
「いままでの」という考えは
「むかしの」という意味であることがほとんどだ。

「いままでの」という
その使い手は
「今」にはいない。

受け入れかた次第で
いる世界がかなり違うことなってしまう。



* * *

与えられていたエナジーはいかようにも
転換させることができる。
入ってきたエナジーはぼくらの魂にふれて
より素晴らしく変化するようになっている。

悪と判断されたものさえも
ぼくらは素晴らしいものに変えることができる。
なぜなら、なにひとつぼくらにとって
不都合なものはなく、ぼくらの判断を手放してしまえば
すべてぼくらに流れてきた純粋なエナジーだから。

愛の目は受け取るものもすべて愛。
もし、受け取るものがそう思えないなら
ここに今、ハートからにじみだしている
愛をそそごう。
このそそがれた愛はぼくらの眼にも同時に
そそがれている。
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by sanshiro-1973 | 2011-11-15 11:15 | | Comments(0)

潜在的にながれはすでにかわっています。

最近、ヒーリングをさせて頂く機会があるのですが、
みなさんとても変化しているなぁと感じます。
ご本人は身体が至るところ悲鳴をあげているらしく、
不健康だと思っているようですが、
意外や意外健康だったりします。
こうした、悲鳴は好転的な変調な気もします。
ハートやみぞおちのあたりに
最初のうちは抵抗感があるものの
すぐにそれも抜けエナジーがぐぐんと通ります。

僕自身もかなり変わっていて、
まえまで、ヒーリングの際、
不調和な部分に気づくことが多かったのですが、
命のみなぎるところにフォーカスが自然と
向くようになってきているので
ヒーリングも以前のヒーリング観と異なってきています。
(ある意味、特別なことがないかぎり必要ない気もしてまいりました。
自然と整うようになっている感じといったらいいのかもしれません。)

皆さん、自然の流れに魂は流れはじめています。
こころとからだもかわってしまうところを
不健康だという枠をつくっているがあまり
エナジーをせき止めている方もいます。

そして、また同時に気付いたのが、
瞑想というのはもともと
「瞑想をする」ということでなく
もともと瞑想状態であることも実感しました。

瞑想状態がすでにあるなかで
エゴが介在して、
いつのまにかエゴが
その状態をしめるように
感じるものになったのでは?
それは在る社会のエゴイズムをつくり
自然をゆがめて、
国家レヴェルまで拡大してきたのかもしれませんね。
そんな気分になりました。

瞑想状態は常にあるのですが、
意識を一体化させるには
やはり現状、瞑想してしまうのかもしれませんね。
意外と、日常に瞑想状態を意識するときあると思います。
ぼくは料理している最中や、車の運転最中だったり、
詩を書こうと思わず、ひらめいた時など。
そんな時は、あっという間に時間がすぎるし、
とても長い時間だったとも感じるんんですよね。
それは自分が消滅して
自然としてスムースに流れているときなのかなって想います。


* * *

追記

ひずみが大きいと感じるということは
それだけ命のヴィブレーションが大きいということで
これが調和に流れていると
素晴らしい世界が「目の前に(顕在意識に)」あらわれるのだな、
と、今、トゥルシー茶をいれながらふと思いました。
まさに今、この時が来たんだな~と実感。
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by sanshiro-1973 | 2011-11-13 11:04 | ダイアローグ | Comments(0)

受け入れることは次元をひらく

自分の嗜好性というのは
潜在能力を裏切ることがよくある。

たとえば、洋服。
人が似合うと想ってプレゼントしたものを、
自分の好みでないから、着ないということ。
ぼくにも以前よくあったんですが、
意外とこれは狭いフォーカスを
さらに狭めているかもしれないなと想ったのです。
まあ、プレゼントされるもの中に送り手のエゴが
ふんだんとおりこまれていることはありますが、
わくわくした想いも同時におりこまれています。
その一寸の光が大きな世界を照らし出すことがあります。

先日、姪のプレゼントされる予定の洋服をみて
姪の好みじゃない(実際そうだったんですけど)、
と想ったのだけれども、
姪の潜在能力を好みに合していると引き出せないなと想い、
姪の好みじゃないといいつも、いいじゃない
とスルーしました。

まあ、洋服だけに限らず、
自分が想っている嗜好性というのは
あらたに出会う自分を狭める可能性もあります。
好き嫌いではなく出会うものと
ニュートラルなコミニュケーションする習慣を
つけるほうがより楽しいかもしれません。
つまり、洋服にも好みを
聞いたほうがいいかもしれません(笑)
洋服はとてもニュートラルに接してくれますが、
洋服にも存在の意志がある。
あたたかい気持ちをもって接すること。
ひとだけでなく、あらゆるものに、
大事かもしれません。
そんなあなたにはあなたが大好きなものたちが
集まると想うのです。
宇宙は、すべてが愛しく想えたほうが
ハッピーですものね!
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by sanshiro-1973 | 2011-11-11 17:27 | ダイアローグ | Comments(0)

ハートを中心にしたあり方が創造の尾をひいています

「何か新しいことをすればわくわくする。」
確かに、そうだねっ、て言って
よく自然に流してしまうこと。

むしろ、それよりも、
今ある自らの意識や、見方が変わる方が
飛躍的にワクワク感が増すような気がします。
つまり、自らの在り方です。
その結果として「新しい何か」をすることになるかもしれないし、
いつもしていることがとても美しくおもえるかもしれない。
自らの成長が新しい尾を引き、わくわくをもたらしてくれると想うのです。

だから、「新しいことをする」ことが
ワクワクの絶対条件ではない気がするのです。
「いかに在るか」で
尾のように「新しいことが」生み出されるわけです。
「いかに在るか」を生きる事は
存在の旨味、命の旨味を味わっている事なんですね。

結構、多くの方が「新しいことをする」ことや
「自分の願望」にとらわれて、
「存在の旨味」を
見ないふりをしていることが多い気がします。

たとえば幸せ。
「あるものを手に入れれば幸せになれる」
「何かをすれば幸せになれる」と
ひとはよく思うことがあるかもしれない。
そして、幸せは何をもって幸せなのか
ひとによって「感じ方」が違うとよく言われます。

もちろん、「何かをする」ことで幸せに気づくかもしれませんが、
「いかに在るか」というで変化が同時に起きて
気づくんだと想います。

常に、体感できるように幸せは今もここにあります。
幸せはやってくるものではありません。
幸せはわたしたちそのもので、全体で
同化して
見渡すことができないんです。

いつの間にか、
見ない「振り」から、ない「振り」になっただけで、
三振までもう一「振り」のところ、
その前に、逆転満塁ホームランが
確実に約束されています(笑)!

ハート、真空を中心にした在り方が
ぴたりと調和した創造の尾を引いています。
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by sanshiro-1973 | 2011-11-10 14:41 | | Comments(0)

まごころこめて生きてしまいしょう

この数日あたらしい波が来ている感じです。
嬉しいですね!

昨日の太陽黒点もいきなり200代に跳ね上がっています。
これから、太陽もさらに応援のエナジーを送り
ぼくらも共振してまいります。
そして、
明日の5時ころ満月を迎えますね。

穏やかなハートの波動は全てに生きわたっています。

いかなることがあっても
このハートの穏やかな歌がすべて。
こころからあふれる波に
私は今あります。

こころをこめて
今、生きています。
ハートにしたがい
今に在ります。
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by sanshiro-1973 | 2011-11-10 11:53 | ダイアローグ | Comments(0)

日々是静穏だってばよ

最近、「常に」穏やかな状態でいられるんじゃないの?
と普通に思えるようになりました。
というか、それが自然な気がします。
誰がそんな状態に常にいられるの?と問われれば、
「ぼくが」というより
「全体」がなんですが。

この「常」にという言葉にまえまで、なぜか
「そんなことはできないんじゃない?」と足をひっぱり
無意識にびびっていたんですが(笑)
大体、「常」にとは思えない時は
「条件」や「エゴのパターン」に支配されていたりするんですよ。
「この条件なら穏やかでいられないはずだ」とかね。
全然、今に生きていない夢の中です。
でもそんな条件は作らないとないわけです。

さて、こんな風に穏やかな気持ちになるのは
もちろん、ぼくだけじゃないですよね。きっと。
だって、見渡せば、ぼくのまわりは
すべて穏やかですもの。
自分だけ荒ぶっていた時が多かったなと反省しています。

思えば遠くまできたものだと思った瞬間、
はじめからかわらぬ場所に
たたずんでいたりして、
脱力(笑)
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by sanshiro-1973 | 2011-11-09 06:04 | モノローグ | Comments(0)