ブログトップ

humming planet

san6.exblog.jp

<   2011年 05月 ( 24 )   > この月の画像一覧

smoky rain taking big strides over a little stone

昨日の夕方、秋田から戻ってきました。
東北道から見ることができる田園風景や
自然の風景はぼくのからだに
根源的にインストールされている
命の共鳴現象のように感じました。
いや、ぼくのからだです(笑)

田園では、縦に振る雨が巨人のように
風にそよいで
おおまたぎで歩いているようにみえました。

 smoky rain
 taking big strides
 over a little stone

これの句につづいて、

 in an iron box,
i am
singing songs,
looking over innumerable
 falling rain dorps


という感じの俳句を
英語で思いつきました。
日本語は

 夏となり
 雨は煙って
 おおまたぎ

日本語の句はまだ成長する感じなんです。
まだ作成途中。
しっくりきていなけど
2歳児の完全性という感じかな。

帰る途中、
大雨が大地くしけずるなか
煙った高速道路のなかで
赤いテールランプをみながら
なんか幻想的な気分になりました。

水はすべての祈りをつつんで
日本列島を縦断しています。
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-30 11:58 | うた | Comments(0)

しずまりかえると、結局、自分がどう生きているか。

土曜日、妻の実家に車で遠出するので、
経路や、時間などを下調べしていたんだけど、
naviがあるからいいかと思い、
調べるのをやめてしまった。

前の職場で、70過ぎのドライヴ好きな女性の方が
「私は昔から、地図にもたよらないから、naviもいらない。
直感を大事にするんだよ。」と言っていた事を思いだした。
そのとき僕は、「もし迷ったら、どうするんだろう?」とか
「それだけ、時間があるんだろうな。贅沢だな。」とかしか
おもわなかったけど、今からすると、それが一番シンプルで
ゆらぎのない今を生きていると分かった。
その時のぼくはリスクを前提にしていたんだなと感じる。
そのリスクが起こる周波数にこころを合わしていたんですね。

たとえば、naviも効かず、情報もはいらない状態になったとき
立ち返るのは結局、自分なんですよね。
今を直感でいきていれば、
なにかへの、もしくはだれかへの依存というのが
生まれない気がします。責任も自分で喜んでとれる。

さて、今のぼくは、どうだろうか?
「naviがあるからいいや」というのもnaviがある世界での前提。
下調べも、「間違いない」ようにという、
間違えるかもいう世界での前提。
だけれども、
それはそれで、楽しんでいるんですね。
結局、「どうにかなる」というのが本心なんです。

ただ、周りが、あまりにも心配するので、念をいれたんですが、
最初に、下調べをする自分が発振したものを
周りがうけとっただけなんですよね。
そう原因はぼくなんです。

また、8時間かかるよ、とか,安全のため、
10時間かけなさいといわれるけど、
それも有難く受け取って、「気」をつけるようにした(笑)
だって、10時間以上かかるかもしれないし、
6時間でつくかもしれない。
でも、想ったように到着すると想います。
さらに、終止、安全運転でみなさんとともに
気をつけていくので、
その状況を楽しめる自分が今はいる。
今、とても楽しみ。
わくわくするね。

   
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-27 02:50 | モノローグ | Comments(2)

ぼくらは想いで常に今を書き換えている。

ぼくらは想いで常に今を書き換えている

誰かが周波数をあげて
自分が心地よくなるのではないんだね。

共明するのも、互いのハートが振動するからなんだ。

つながっているひとりひとりのぼくらが
周波数をあげている

周波数をあげるのは
不在から「あがる」のではない
ヴォリュームを「ある私の状態に」無限にあげる感じだ。
ある意味、
今、無限に「ある」状態から
逆算しているのだ

今、無限なる存在であることは
はじめからゆるされ
ゆるしている
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-24 23:55 | | Comments(0)

ぼくらは照らしあっている

太陽のエナジーを
転写したものを
ぼくらは日常受け入れている。
もちろん、太陽以外の
宇宙のエナジーもしかり。

水はとくに太陽のエナジーをうけいれている。
100パーセント受け入れる。

太陽から贈られる情報によって
ぼくらのからだも
書き換えが起こっている。
書き換えというか
本質への呼び戻しというか
そんな感じだ。

このエナジーは循環していて、
じつは、ぼくらのからだも
太陽のような役割をはたしている。

ある周波数からは太陽の一部というかもしれないし、
それぞれが太陽といういいかたもできるし
そのものの周波数であれば
太陽ひとつである。

わたしがあなたとかかわったり
あなたがわたしとかかわったり
あるひととかかわったり、
あるものとかかわったり、
エネルギーの書き換えを繰り返して
成長発展している。

そう、今、
この存在は宇宙太陽である
ぼくらは照らしあっている
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-23 12:46 | | Comments(0)

素晴らしい意味を与え続けること

ある周波数領域で、ものや出来事をを見るとき
また別な周波数領域でおなじことを「苦しみ」とされているものは
必ずしも同じ意味をもたない。
意味は、つくられたものにすぎない。

それが「苦しみ」ということが前提にない世界なら、
「学び」にみえるだろうし、エネルギー的に荒い領域になる。
荒いと受信することもないので、
荒いという感覚もなく、そこにエネルギーを注ぎ込み
精妙な調和になってしまう。
与えることにより
その振り幅でより素晴らしい創造をしている。

「苦しみ」まっただ中の周波数においては
それが、本質からしたら自由意志なのにもかかわらず
「学び」にも想えず、その学びにおいて感謝もおきない。
体験しきったらそれを手放すのが自然。
「とはいっても」といって、違う領域の自分を無視することは
停滞で、そこにしがみついていればいるほど辛くなる。
そこを「楽しむ」ことができたら、
変化がおとずれる。

今、実際、
そうした、学びとなった世界を手放している。
今、「喜び」「美」にフォーカスしつづけている。
そう,今、違う次元がある自分に気付いて、
これを創造している。

今、周波数をあげていることは
過去も未来にも与える意味が変わってくる。
それは今(というフォーカス)が
有機的に変化し、創造しているから。

そして、この今に、喜ばしいことをしっかり決定すること。
呼吸が浅い状態から深い状態にしてね。
そしてさらに呼吸になっている。
生きている、この命に、この生命の智慧に
一致している自分ますます創造している。

常にぼくらの本質は
美しく喜び満ちて刷新されつづけ創造されつづけ、
この今に常にある。

* * *


以上、
これはメモのようなもので
言葉の限界をらくらく超えた智慧が
すべてぼくらに備わっているんです(笑)

笑うしかないね。
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-22 01:55 | | Comments(0)

行動する楽しみ、それはしてしまうこと。

隔週でヨガにいっている。
そこの会場を提供してくださる大工のイチローさんはとても
お話好きで、喜びのひとなんです。

イチローさんは計画を立てるのが好きで
ヴィジオンと逆算して計画を実現して行くひと。
その計画はかなり日にちから行程から具体的なのだそう。

そのお話を聞いていておもったのが、
以前、恩師の大津さんが
「具体的にどうありたいか、日時から、全て設定して
決めて実行すると、そう実現する」
と伝えて頂いた事の生きた例が、
まさにイチローさんだった。

決めてしまうと、必要な智慧、必要なもの、ひつような協力者が
自然と吸い寄せられるように集まってくるんだね。
イチローさんの話はそんな感じ。
条件や枠がないんですね。

ぼくはその話を聞いて、
イチローさんは計画を決めたその「今」に
ものが実現しているなと感じたのでそういうと
「そうなの!!」と言っていました。
「今しか生きていないんですね。」
「そうなの!」と。
なにかひらめくと
とりあえず、条件を付けず、
交渉するそうです(笑)

ぶれていない想いがすでに原因と結果になっていて
それがシンプルに実現している。
そして、時間という条件を楽しんでいるようだ。
行動するということは本来、時間がある世界で
楽しみであったのだと想う。

たぶん、イチローさんはリアルに楽しく
教えてくれた。

それは、イチローさんが特別ということと同時に
特別でなく
ぼくらがおなじように特別であるということ同時に
特別でない
宇宙の自然な理なんだね
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-21 22:53 | 天使 | Comments(0)

時間を手放して

愛ということばにすがることはない
愛という概念にとらわれることはない

本質のわたしはすでにあらわれていて
どの次元であらわしているか

どんな時も愛はわたしからはなれることがなく
離れていると感じるのは
わたしが愛から「離れよう」としているのだが
愛はどこまでも満ちている
だが、
あるものは、その不在であると(思い込み)
愛を求める。
あるものは、どん底にいて(自らのおさえることができない光で)
愛に気づく、

けれども、はじめから愛であったことを
一致してあらわすものは少ない。

なぜこの時代に、多くの人が
愛の存在をうたうのか、
その不在だからではなく
あたりまえな自然に
誰もが不本意なブレーキがかかっているから。
そして、一方素直に
あたりまえなことをあたりまえにうたってしまう
自然があるからだ。

きみはどの次元で愛をあらわすか

愛でないといって
愛をあらわすのか?
それはひきさく思い、
もう、地球はそんな次元にはいない。

いかなる次元で愛をあらわすか

より俯瞰して
よりそのものになって
より透明になって
より精妙になって
ひとつである命は
今ここにある
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-21 18:06 | | Comments(0)

you look at being

喜びて
ヨロコビ


帰るところに
帰りいる
蜂にあい

ただ太陽の
羽音にふるる
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-19 15:15 | うた | Comments(0)

自由自在

たえまないように思える思考のつぶやきに
囚われているのは
そこに執着しているからなんだよね。

お金に困っている方も
お金に囚われているから
お金を力づくで否定するふりをしたりもする。
困るというのは、
それがないと困るという枠にはまっている訳です。
そのエネルギーのながれに
知らず知らずにしたがっているんですね。

あえて、「囚われる」、「従う」ならば
無限なる愛に囚われ、従うといい。
なぜならば、愛は捕らえ囲うことも
服従させることもないことに
気づくからなんだ。

そしていつか絶え間ないように
思える思考のつぶやきもやむ。

愛の存在であることに今、生きている

この愛なる存在は
何人からも、あらゆるものからも
離れることがないんだ。
この愛なる存在は
ぼくらなんだ。
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-19 12:37 | 天使 | Comments(0)

相応

「右を向いてください」と言われて
みんなが素直に右を向くとします。
ただ、その中で、なんの気なしに
左へ向いてしまっても、下を向いてしまっても
上を向いてしまっても
それが素直な応えなんだなと。
合うこと合わせることは違いますもんね。

大事になってくるのは
自発的に「合う」ということなんだね。
自ら向き合って素直にしてしまうこと。
瞬間の自分に向き合って発振受振で
応えているか。
なにかに自己同一化をする私ではなく
3次元的には独立して(依存しない)、宇宙とシンクロ(同期)して、
意志を顕しているか。

実際、本質のぼくらは今そうしている
[PR]
by sanshiro-1973 | 2011-05-18 06:54 | | Comments(0)