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humming planet

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<   2011年 01月 ( 29 )   > この月の画像一覧

こどもの表現から

最近、僕の表現が
息子につながっているように感じる。
二人三脚、妻をいれると
三人四脚のように。
表現が混じり合って
息子の表現方法が生まれている。

息子は、ひとがもどってくると
「おかえり」と叫ぶ。
はじめて、まともに言葉にした表現かもしれない。
そしてぼくらはハグをする。
息子はハグをぎゅーっとしてくる。

妻のともだちのお母さんは
こどもが突き倒したり、おしたりすることに悩んでいる。
このお母さんはとてもやさしく、
お子さんにもそんな表現方法はとらない。
つまり、親の影響でその表現方法をとっている訳ではない。
しかし、いくら「やめなさい」といっても
そのお子さんはやめない。けれど、
自分の表現方法が他の子と少し違うだけで
なんか弾んでいる感じがして
その子の雰囲気が、僕は好きなのです。
その子のおかげで息子もぐんぐん創造している所もあります。
息子も、押し倒されても
そのこのことが大好き!

おとなの表現方法に影響される
こども、
風のように自ら自由に表現する
こども、
いろいろな感じで
また影響し合う。
融合して、新しいものがうまれる。
想うこと、
創造していること、
そして、
共有していること、
共存していること。
ぼくらは創造して
ゆるされていること
ゆるしていること
自由であることに気付く。
そんなふうに思うのです。
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by sanshiro-1973 | 2011-01-31 19:49 | モノローグ | Comments(0)

オーロラ

最近、「違い」についてぼーっと考えてます。

ぼくらは違いというと、ひとつひとつ
仕切りがあって、分離している個々が存在しているように
かんじると思うひとがいるかもしれない。
けれど、
化学反応を引き起こす違い
融合することが前提で違いがあるように感じる。

それぞれの世界に立ち入れない違いではなく
本来、ゆるしあい、融合している違いなんだね。
オーロラの光のグラーデーションように。

手と頭はつながって一体になっているのに
この手が言う事を聞かない!
と叫んでいる状態ありませんか?
それは調和という状態からずれているだけなんだよね。
あらゆることにおきかえられるけど、
手の役割、頭の役割、あらゆるものとのつながりがあって
自然な動きができている。
ひとも生物も地球も,宇宙も。

単にパラレルという訳でもなく
同じ宇宙にそれぞれの宇宙、
グラデーションな次元があるんだなと感じる。
多次元を実にしている最中なのかもしれないね。
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by sanshiro-1973 | 2011-01-31 19:31 | | Comments(0)

realize

友達のちずさんとさきほど話して
いろいろ充実した言葉で
改めて教えてもらいました。
いろいろなお言葉で、
時に再認識することをおすすめします!!
ちずさんに感謝しています!!
みんなにもちずさんのお話を聞いてもらいたいなと思いました。


* * *


人はそれぞれ違った世界を持っています。
その違いが与えてくれるエネルギーは
より宇宙を豊かにしている行動だと思います。
むすびあわせることとひらいててばなすことが同時に
起きるような現象は常に起きています。


* * *

許すってことは
エネルギーを受け入れるということ。
つまり、
与えられているということ。

一方、常にエネルギーを与えられている
ぼくらは常に許されているということ。

起きていること、あらゆる現象に
愛のエネルギーが流れている。
それをどう喜んでい受け入れるか、
どう喜び変換し増幅させるか、
喜びは常に津波となって押し寄せてはやまない。

* * *

頭で認識したら、
気づきの旅へ出発です。
創造している命には
常に喜びが待っています。
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by sanshiro-1973 | 2011-01-29 22:43 | | Comments(0)

私たちは光の情報を与えられ、光の行動をしている

最近、新種の動物が発見されたというニュースを
よく目にします。
「ある」という前提の目(無意識の触手である場合が現在多い)が、
発見をしてしまうのだと思います。
「ある」という目に更新していくことが
私たちの本質的な進化へ促すような気もします。
つまり、以前にも述べたことのある
新しい目、新しいメジャーをもつことなのかもしれません。
新しいメジャーというのは刻んだり、囲ったり、縁をつくったり、
形作ったりするだけのメジャーでなく
手放したり、与えたり、解放するメジャーでもあります。
変容する土地、変容する部屋、
変容する音楽のようなものです。


* * *

メッセージとして地球には様々な光がきています。
それを言葉に変換できる人もいますが、
違う表現や行動で変換する人もいます。
ヴィジオンを受け、説明できる人もいます。
ただ、みなさんはすでに受け取っていて
無意識で表現したり、意識的に表現していたり
生きるという事に充実して、
その光の波動を常にあらわしています。
100%ではないけれど、100%を超える進化を遂げている人もいれば、
まだ、数パーセントの方もいますが、
人による割合の格差はここではあまり意味がありません。
その人、本人の役割の自分で考えたタイミングもあるとおもうので。
向き合う私、向き合うあなたがとても大事になります。
その振動はすべてつながり数パーセントの進化から
いきなり∞に覚醒することもあるのすから。
ただ、タイミングという名の、「向き合わない」行動で
延期することは、単なるブレーキです。
積極的な発振受振が大事になります。

光の情報を受けた人が言葉で表現するとき、
言葉はその音にその光の波動を伝えることができますが、
伝えきれないこともあると思います。

優先的に入り込むシンプルな情報が
ぼくらには常に与えられてるような気がします。
言葉やヴィシオンはすべてではないといえますが、
その顕在意識での全てであったりします。
情報は活きていて、
そのもので存在しているということなんです。

そしてまた、私たちはみんな、
すでに「ある」、常に「ある」智慧を
とりだして、活かしあう存在なんです。


要するに、光の情報が「ご本人」、「私」にとって活きているかが
大事なきがします。
活きていない情報は単なる知識で、
活きている情報は智慧になっています。
これは活きていない私=眠れる知識、
活きている私=智慧
ともいえるかもしれません。

* * *

この常にある光の情報、愛の情報は
メールと同じで開かなければ
気づくことができますせん。
それでは、どうしたら開くのか?
常に「ある」という積極的な前提があることをみとめることです。
あるいは、すでににしていると思いますが、
喜びと感謝の表現、行動です。
日々の生活をすべて喜びであることを認識すること。
喜びをユニークな変換(一見マイナスとも思える変換)していませんか?

受け取っている愛の情報、
なんとも言葉にならないハートから湧きあがる想いも
光となって私たちを伝っています。
何とも言えない喜び、感謝、幸せ、より澄んでいく想いを
光にイメージして
鳩をはなすようにはなしましょう!

* * *

私たちも光として存在しています。
分光、転調、進化を
螺旋状に繰り返して、
この存在の喜び
命の喜びに
常に充実しています。

いうまでもないことですが、
なんども発振するよ!
私たちは愛そのものです。
私は愛そのものです。



ゆらぎの先にある自分自身の韻律
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by sanshiro-1973 | 2011-01-27 11:30 | | Comments(0)

星の王子様

一輪のバラを愛すのも
複数のバラを愛すのも
すべてのバラを愛すのも
その想いは変わらない。

今日帰り道、星をみながら
ふってきたことばたち。

どこからどこを愛しても
ぼくらは愛してしまう
エナジーのながれる方向が常にある。
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by sanshiro-1973 | 2011-01-26 22:58 | モノローグ | Comments(0)

等価、螺旋状のリレー、ひきあい、ひかれあい

あるがままに素直で生きると
本当に自分にとって必要なものは
自分に収まるようになっている。

あるがままの状態は自らが障害という概念すらもたない状態
実はぼくらがすでにいる状態。

深海の静かさもあれば
波しぶきふきすさむ荒い
海もある。
ただそこは海。
そのめくるめく現象に心奪われて
遊んでいた事も忘れてしまった。
ただそこは海

あるがままに素直で生きると
本当に自分にとって必要なものは
自分に収まるようになっている。

私は私の意志で
求め求められている
与え与えられている
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by sanshiro-1973 | 2011-01-24 19:33 | | Comments(0)

ぼくらは愛のみででき、愛のみが完全に生きている

嫉妬や怒りはかなりエネルギーを使い、いちばん傷つくのは自分自身なのはわかっていただけるかな。自然なながれにブレーキを踏む感じです。これに気づくと「おこらないように」「嫉妬しないように」知らず知らずのうちに思い、我慢したりおしころしたり、みないふりをしたり、いろいろな手札をとったりします。
いちばん、ぼくが効果的だと思ったのは、もっと楽しいことにフォーカスしたり、喜びに忠実になると、そんなことどうでもよくなるんです。そちらの方が自然だから。
それでも、怒りの芽や嫉妬の芽を自分がつくりだしてしまったときはどうしましょう?
このパターン結構多いと思います。
こんなときはチャンスなんです。圧しころそうとせずに、対象にたいしどれだけ愛が深いか、どれだけ融合したがっているか、自分はどれだけ自然に愛を表現したがっているかに素直に気づいてしまえばいいからです。そこで、自分をゆるすことで、緊張していたなにかがほどけ、自分自身のひろがりを感じるかもしれません。そして「ない」と思うことにエネルギーを注ぐことの虚しさに気づくはずです。作った対象を愛することで 学びやかけていた負荷を手放すことができます。
 愛の動詞は常に受け入れられて受け入れることができます。愛のかたちをかえているのは自分です。それぐらい愛はぼくらを許している。ぼくらは愛ぐらい許すことができ、まさに許しているのです。
なぜならば、わかりますよね!
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by sanshiro-1973 | 2011-01-22 16:38 | ダイアローグ | Comments(0)

ひかりそのもの、愛そのもの

「与えるというのがとても自然でオートマティックな意志」と受け取ったのは、昨年の12月のことだか、今日のぼくはここに充実している。そのオートマチックな意志からすると、「与えたくてしかたない」というのはまだ分離があるんだな。流れてしまうところに流れようとし、流れてしまう。つまりそれが愛そのもののあらわれ。
 このオートマティックな意志は神様や仏様、聖人、君子と呼ばれているかただけの専売特許ではない(笑)。このオートマチックな意志はみんなであり、私であり、すべてであるんだね!
七次元あたりは与えられていることと与えることがすでにレヴェルであって、そこに時間もなくてひらいてむすんで調和しているから、これが、これからのユニバーサルスタンダードで実現されつづけていくと想う。
 地球は与えられていることを充分に味わう段階にすでに突入している。
ないないと言い、奪う学びは終りだ。子どもの成長と同じで、他の子どもが使っいるおもちゃを奪ったら、ごめんねっていったり、貸してといったり、ありがとうって言ったりすること、教わるものね。教わって行動したら光の密度が増してくるわけだね。
 感謝と喜びが常に充実している地球。それが5次元のグロバールスタンダードなのかもしれない。

だから、考える前に、輝くのさ。
もう、そうしているよね?



gift
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by sanshiro-1973 | 2011-01-21 16:20 | | Comments(0)

ゆらぎの先にある自分自身の韻律

 最近使っている時間にゆらぎがあるように感じる。暦だったり、既存のメジャー(measure)にぶれが生じているとでもいうのかな。それとも暦をあまり重要視しな生き方をしているからかな。「これをするのにこれしか時間かからなかったけ?」とか逆に、「こんなに時間がかかったけどあっという間だね。」とか、「この瞬間がとても長く感じた」とか。求めた日が指折り数えなくてもすぐにやってくる(笑)
 老化現象で、日が短くなるとは聞いたけど、それとはべつもの。まあ老化現象で片付けてもかまわないけどね。むしろ進化現象だ。時間の柔らかいところにぼーっとと光のからだを伸ばしてみると心地よい。ひやっとふわっとするしきたての蒲団のなかのように(笑)
また、季節はあるが、日中の陽射しもかなり強く、ふと暑いと思うときもある。順序なく、季節が重なっているイメージ。
 また、日付を間違えて、予約したり、1月なのに3月といってみたり11月といってみたり。そこを掘り下げることなく、最近自分の頭がおかしいとばかり思っていたりする(笑)
 お正月もお正月の内的メジャーからずれていた(笑)ぐにゃっと柔らかくなった時間に落ちることはないけど、ゆらぎを感じる。それは助走なのかもしれない。暦がほどかれる助走。新しいメジャーがあるとするなら自分自身の意志。言い方をかえれば、地球全体が時間という意識をうまく活かすことができるようになってきているのかもしれない。
 ふと、銀行からの帰り道、普段めにもしない鳥をみた。ぼくが普段から気にとめていないだけなのかもしれないが、普段、目にしなかったような、植物や動物や、仲間が、時の間をぬけて挨拶してくるかもしれない。

 昼、急に、ジブリのポニョのことが頭に浮かんだのはそういことなのかな。unionという感じが、一体になるというより、一体である、すでにつながっているというムードで、今の今に確実にある。

ところで、猫バスはどこからやってきたかかんがえてきたことがあるかい? 
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by sanshiro-1973 | 2011-01-21 15:02 | モノローグ | Comments(0)

euryse

とは言っても、時間がつくり上げたフォームの中にいる。時間に縛られるか、この時間を使い輝きを増幅させるかは、自分しだいだ。つまり、本質の口をひらいて話しているか、本質の光の足を使い歩いているか、本質の光の手を使い創造しているか、つまりはハートだ。そのものとして完全に常に生きているかだ。自分が作り上げたフォームの奴隷になるか、それを活かし、奴隷でもない、主でもないそのものになるか、自由意志を自らにゆだねている。いわば、サーフィンだ。板に乗るか、板に拒絶されるか、板と一体であるか、一体の密度を濃くしていくと、それが常であるか。
 一時点に集まる集合離散の3次元的4次元的なエネルギーの波形は、一見、外を求めるが、本質においては、外や内に流れ込むのではなく、創造している今という縦でもなく横でもなく、上でもなく下でもなく、つまりはそれであるまるまるすべての命である。
 つまり、ここを起点にせよ。こことはこころ。私がすまうところ。あなたである私がすまうところ。
 
* * *

 メディアの普及で、場所にしばられることがなくなるが、こころにすまうことなきものはさまよった。光であいた扉の前で、流された。だが、じつはどこにも流されていない。立ち止まり、思いによって錨を落とし、抵抗をあじわっているだけだ。流れとの分離。じつは流れとは仮の名前。 時間に流された意識のぶれは、意志を置き去りにした。だが、私はここにいる。常にここにいる。常にここにいて愛している。

* * *

昨日、ぼくは風呂に入っている時、オイリュージュとさけんだ。
光が散った。どう発音すればいいかわからない。
ユリュージュといえばいいか。
けさ、風呂場の扉をあけるとせきこんで痰をはいた。
つかかっていたものがとれた。
オイリュージュ、オイリュージュ。

* * *

新しい目はひらいている。集合離散という動きを新しい目でみている。そこには時間が含まれないので、3,4次元てきには「一気にやってくる」という感じだがそれは常である。こうしている間も常である。新しい目は美しい目だ。見るものすべてが美しい。それは幻か?いかなる目で見ても幻だ。美しいは幻を抱きかかえてときほどく。時ほどくのだ。向かっているのでなくすでにここにいるのだ。こころ。私のすまうこころ。

* * *
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by sanshiro-1973 | 2011-01-21 10:34 | | Comments(0)