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humming planet

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無の動詞

私は
強弱にもとてもニュートラルだ。
強弱が幻想であることを常に伝えている。
ぼくらが言う強弱に無関心なのだ。
私は
善悪に常に無関心だ。
善悪自体の意味を分かっていない。
ぼくらのいう意味には無関心なのだ。
ぼくらのいう意味で意味のないことだから(!?)

どちらのサイドでもない
常に
ノーサイド。

いうなら、
私はあなたに常に流れ込んでいる
血のように
空気のように
サイドをつくるなら
あらゆるサイドに
私は流れ込んでいる。

私は常に私を温め育み
愛している。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-31 03:59 | うた | Comments(0)

みんな太陽のもと花ひらいている

WIN95にあらかじめ入っているヴィデオクリップに
WEEZERのバディホリーがあった。
とても懐かしい話。
ちょうど、ぼくは20代前半かな。


最近は「おかあさんといっしょ」のCDか(笑)
ずーっとWEEZERの曲を聞いている。
ご存じ?
好きと簡単に言ってしまえばいいのかもしれないけど、
気になってしまって、
ずーっと聞いている感じだ。
きっとおそらく、多くのフアンが共通して思っている妄想かもしれない、
ヴォカールのリヴァースとぼくはとツインソウルかもしれないと(笑)!

そんなリヴァースが数年前から明らかに変わっている感じがする。
特にレッドアルバムぐらいから明確になったな。
ゴエンカ氏をしたって瞑想したりね。

今回の新作ハーレーの中の
Hang onやBrave New Worldはとてもそのムードを感じる。
あと、とても歌をとても愛しているな~って思う。
ナード、オタク的に楽曲を愛しているところを飛び越えて
最近、歌っていることそれ自体に愛を感じる。
youtubeでリヴァースがひとの曲を歌っている姿を見ても
その歌を自分の歌のように(実際、歌には所有は本来ないからね)
歌っている。
トラックの運転手が頭にタオルをまいて
運転席で大声で気持ちよく歌っているように
お風呂でわからない歌詞をハミングでごまかしながら歌うぼくらと同じように(笑)
なんのかわりもなく
リヴァースは歌がすきなんだなぁと思う。
あまりにもナイーヴ(ばかがつくほど素直という意で)なところが
宇宙的に素晴らしいと思う。

and as I take this action
we'll see a chain reaction
Everyone blossoming in the sun
we hate to leave our shelter
But there's so much waiting out there
if only we'd open our eyes and see

Brave New worldからのフレーズだけど、
そう、
ぼくらはほんと自分の殻を捨て去るのにびびって、嫌がっていた。
だけど、あまりにもおおくのことが待っているんだよ。
目をあけて、それを見さえすればいいんだね。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-30 16:45 | | Comments(0)

だから、この今は精妙な喜びである。

「与えられている」ということが基にあり、
エネルギーを一方的に「与えられていない」とい起点で
使うと、「奪う」ことになってしまうことがある。
この振幅でとんでもないほど人類は大きな学びをして来た
ということは前回の日記に触れたと思います。

このことは「ゼロ」「ない」という学びを人類がしたかったのかもしれないと
ふと思い浮かびました。

「ない」という起点は
二元論の土俵へ常にいざなうようになっているような気がします。
ある意味、面白い動力だと思いますが、この方法は
エネルギーの出口を絶えず探さなければなりません。

完全に「ない」という起点か、
完全に「ある」という起点に、
どちらでも、
私が満ちているいる時、
実に「ある」「ない」は
単なる意味付けにすぎないすぎないのかもしれません。

完全に生きている
と呼べるのは
「意味付け」ではないんですね。


* * *

この地上で生きるには
価値判断ではなく
与えられている私を
充分楽しんでいる起点で生きていると
まるまる完全を生きていることを実感するのかもしれません。

だって、「楽しくない」という意味付けをしたら
逃げたくなりますもんね?
でもどこへにげればいいのって?
エネルギーの逃げ道をさがしても
欠けた自分をつくってしまったら
ずっと探し続けることになりますよね。
常に「楽しい、喜んでいる、感謝している」という状態は
常にあるんです。
そこから逃げたい方はほぼいないですよね?
だから、その「楽しくない」と意味付けしたことの中にも、
「常に選択した意思」があるのです。
だから逃げるということは実に与えられているエネルギー以上を必要としちゃうんです。
きっと。


* * *

一見、あるなしの実在を
つくりあげ ときほどく
結んで 開いている
動詞のような
しくみ、
まるまるな完全生命

ぼくの言葉では
こんな感じの
祝詞(法則)がきこえています。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-28 15:28 | | Comments(0)

反省から活かしている

頂いていることにもっともっと感謝してしまってもいいはずだと
ふと思いました。
この部分に私がもっともっと敏感になっていても
いいはずだと自分自身、
今日,気付きました。
気付いただけではその波動になっていません。

すでにじわじわっと感謝しています。
どんどんどんどん
喜びにみちています。

* * *

たとえば、
植物のものが人と親和性があるからといって
自分のエゴだけで
植物を「使っていたら」
まさに不調和なのだと思います。

食べるときも
動物性のものがだめで
植物ならいいという
気持ちも同じのようにエゴを感じてしまうときがあります。
もちろん
多くのがかたが感謝して
頂いていると思います。

もともと
調和にいたるために
生まれた発想であることを
ぶれずに感謝してしまいます。

だからこそ、
あたえてくださっていることの
感謝と喜びを伝えさせていただいています。

* * *

生物多様性は人だけの危機感のうちにあるのではなく
生物多様性はすべてまるまる私そのものの感謝にあります。
生物のみならず鉱物も、ありとあらゆるものが
私そのものである感謝,
喜びです


* * *


私は
過去
「とったり」「とられたり」という学びをしてきました。

また,知らずに知らずのうちに
エネルギーを欲して
必要以上にエネルギーを
「奪う」という荒いかたちで表現してきました。

このスパイラルは終わろうとして、
いや、
もうすでに、終わっています。

* * *

それぞれの私が気づいているから
たくさん学んだ事に
たくさん感謝して
荒い波がますます穏やかに
なっています。
どんどん
穏やかに精妙になっています。

学んだ事を活かすのが
それぞれの私の役割です。
ゆるされ
ゆるしている
この瞬間に
私は
喜びそのもの感謝そのものでいます。
このエネルギーは
とてもありがたいことに
私である宇宙を循環しています。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-26 22:38 | 天使 | Comments(0)

そして、それから

「隠している事」って書きました(笑)
でも隠している事って本質からしたら無い訳です。
隠せない訳です。
「隠している事」って
もちろん、今、「まさに創造したい」としていることも
ふくむんですよ。

流れる川に
竿をさして
見える石あり

想いあるならはなしましょう。
すでに受け取っている私に気付いています。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-25 22:41 | | Comments(0)

あるがままの私2

私と宇宙は
一体で生きています。
みなさまもそうです。

私を見ないでいきること、
何かを隠していきることに
少しだけ言及すると、
それはとても難しいことをしているということです。
とても負荷がかかる生き方です。

これから常にしつづける
創造と調和の行動は
私を見つめていることです。
よりすばらし私を発見してしまうことです。
よりすばらしいことを見いだしていまうことです。

だから
私は
安心して
完全に生きてしまいます。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-24 18:41 | 天使 | Comments(0)

あるがままの私

何かを隠して生きること
何かを見ないで生きること
私を見ないでい生きることは
流れる川に竿をさしたままの状態。
竿をさしたところだけ荒い波がおこりますよね。

あるがままに生きるのは
本質のままにいきるていることで、
何かを隠したままの
きみのままでいいということとは違います。

この川の流れは調和にいたる愛そのものの発展的エナジーの流れです。

すべてをあらわしてしまうのが本質なんですね。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-24 15:33 | 天使 | Comments(0)

愛そのもによる創造的発展的調和

今週、入ってから
ムードがとても軽くなっている。
その反面、運動していないのに
身体の節々が筋肉痛のような感じです(笑)
身体も愛であることを充分あじわっています。

* * *

「自分を見つめる」という作業で
最近、思うのは
過去に起きたことをじっくり
内省的に
考えるだけではなく、
むしろ、それは最近あまりなく、
行動しながら、「自分を見つめる」ことが多くなってきました。

外や内の境がないので
たちどまって私を見つめるのではなく
常に私を見つめている状態であることに気付きました。

自分を見つめるときに
事後報告的に
意味を与える作業になりますが、
起こっているさなかに見ている私は
喜びを常に体現している気がします。

目に見えるすべてはメッセージ、
という感じですが、
メッセージというと何か違う気もします。
メッセージというよりは創造的調律

だから予測やノルマ、ヴィジオンは
あまり面白いものでもないですね。

その瞬間、瞬間の
発振受真の
交流=「今」に
結果、
意味を与えて、
事後報告になってしまう
そんな時が増えている気がします。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-23 17:51 | | Comments(0)

すばらしい〜

だいぶ前に、自我ってものに
自分が
肩入れしていないか?と想った事がある。
なくさないといけない
大きな染みのような存在みたいに(笑)

でも、これはめんどくさい力の使い方で、
自我を巧妙にも
憎いものにもしているのは
自分自身であって、
そう思ったら本当にめんどくさいものになってしまう。

自我も協力してくれる。
いろいろ必要な学びを運んで来てくれ
成長するたびに
謙虚になる。
はじめから
愛の存在である
私を素直に
表現してしまえばいい。
そうだ、そのほうが実に簡単なのだ。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-21 00:14 | | Comments(2)

heal myself

しらずしらずのうちに
マイナスを探してはいないか?
どこへ行っても
本当は見つからないんだ。
マイナスがないと不安かい?
ないものはつくってしまうくせがあるからね。

より素晴らしい私を見つめている
より素晴らしいきみを見つめている

その生きている穏やかな波の中に
たゆたう
本質の私を常に味わっている。
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by sanshiro-1973 | 2010-10-20 23:32 | 天使 | Comments(0)